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世界侵略のススメ

日本語には「欧米」という言葉がある。
しかし、欧州と米国は似ているところもあるが、違いの方がはるかに多いと思う。

イタリア人の素晴らしいところは人生をエンジョイすることに長けていること。
平均的なイタリア企業では、有給休暇が年間8週間もあるらしい。
そして、それら福利厚生を捻出している企業経営者達は、それでも余りあるリプライを会社は得ていると言う。

毎日、2時間かけてゆっくり家族と昼食を取り、年間30日はバカンスに出かける。
結婚記念日で1週間休み、年末にも1週間休暇を取る。

それを聞いたアメリカ人は、更に働けばより豊かな収入を得られると言うが、それに対してイタリア人は、なぜ1度しかない人生を仕事だけに捧げるのか?と言う。
すでに飢えずに生活ができるのに、それほど働いて収入を増やすことに何の意味があるのか?と。

フランスの給食はプラスチックプレートを持って並ぶことはない。
小学校の給食でも、フルコースを給しからサーブされ、マナーや料理について学び、豊かな時を過ごす。
片田舎の小学校の食堂でも陶器の皿にステンレスのフォークとナイフを使って食べる。さすがに銀の食器ではないが。。。
もちろん、田舎の小学校の厨房でさえ、数種類のチーズはいつもストックしてあるそうだ。

フランスはアメリカや日本に比べて税金が高いが、国のサービスは充実している。
基本的な「警察」「消防」「道路等のインフラ建設」「水道」「国防」「銀行の救済」などの基本サービスに加えて「医療費」や「保育料」は無料だし、「高度な教育」も無料で受けることができる。

アメリカや日本は税金が多少安くても、これらの国の基本サービス以外は自己負担なので、トータルの負担額は大きくなる。
子供一人育てるのに数千万円かかるのであれば、誰も子供を産みたがらないのは当たり前だ。

給与明細には差し引かれている税額が記載されているのは万国共通だが、さらにフランスではその税金の使い道が記載されているらしい。
「所得税」とか「社会保障税」等と記載されているのではない。
国のサービスとして何に使われているのかが具体的に書かれている。

これをアメリカや日本でやったらどうなるだろう。
アメリカの給与明細でこれを実現すると、所得税の60%が軍事費に使われていることを書かねばならなくなる。
そんなに彼の国は他国から侵略されているのだろうか?あるいは、他国を侵略して領土を拡大しているのだろうか?いずれもNoだろう。
恐らく、フランスのように税金の使い道をすべての労働者の給与明細に記載したら、アメリカでは暴動が起きるだろう。

日本でそれを実現したら、医療、年金、生活保護、そして国債の支払利息などと書かれるのだろうか。
最近問題になっている生活保護や保険医療の不正など、不正の温床になっているものが上位にくるのだね。
そして、国債の支払利息なんて、金融機関へのバラマキでしかない。

閑話休題。
これらの話はすべて、「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」というドキュメンタリーの受け売りだ。

世界でもトップクラスの学力を誇るフィンランドでは、宿題もなく、授業日数も非常に少ない。(小学校低学年ではわずかに週20時間程度だそうな。昼休みも合わせてね。)
そして、統一試験もなければ、マークシート試験はない。
学校教育では、選択問題の回答が導き出せる教育は行わない。

「学校とは幸せを学ぶ場所じゃない?」と真顔でフィンランドの教師が語る。
「詩の授業では就職ができない。だからアメリカでは美術や音楽の授業も、ポエムの授業も、みな削減されている」と語るマイケル・ムーアの顔を、議論にならないと、唖然と見つめるフィンランド教師の表情が印象的だ。

フィンランドでは学校の序列はなく、国内のどこに住んでも同じレベルの教育が受けられる。
それどころか、フィンランドでは学校を設立し授業料を取ることは違法だそうな。
さすがに、これには驚いた。

さぁ、ネタバレはこの程度にしましょうか。
というか、僕自身、まだここまでしか観ていない。
今夜、この文章を書き終えたら、また、続きを観ようと思う。

マイケルムーアは、ネタバレをブログを書くことも多分許してくれるはずだ。
なんせ、彼のこの映画のアイデアは、すべて欧州からの受け売りなのだから。(笑)

アメリカ人の素晴らしいところは、相手の良いところを素直に学ぶところだろう。

今の日本は多分にアメリカ人的な価値観が強くなっているが、そろそろこの国も幸せについて考える時間を増やしてみてもよいのではないだろうか。

僕達にとって、明日食うことを心配する時代は遠く過去の歴史となりつつある。
僕達は先人の努力の成果の上に生きており、幸いにも、必死にならなくても生きられる現代の日本に生まれ育った。たまたま、運良く、だ。

明日は日曜日。
一度しかない人生、幸せって何なのか?を、暖かい日差しの下に座って、ゆっくりと考えてみてはいかがだろうか?

「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」は、そんなきっかけになるドキュメンタリーです。<木村君、大絶賛!!>

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他人を幸せにするということ

どんな風に生きたいか?と、あなたが聞かれたらどう答えますか?

若いうちから「他人のためになりたい。ひとを幸せにできる人間になりたい」とかって、言う人がいるけど、僕はそんな考えは、今すぐにやめたほうがいいと思う。

まずは、自分が幸せになることに向かって、一生懸命になるべきだ。

必死に自分の幸せと向き合うべきだ。

自分が少しずつ幸せになると、だんだん自分だけの満足では幸せになれなくなってくる。
そうすると、自然に、他人の笑顔がなければ幸せが味わえなくなってくるものだ。

自分の幸せを追求する過程で、他人を顧みないで生きている人もいる。
でも、それは過程であって、そんな人も、本当の幸せの尻尾を掴むと、自分だけでは幸せにはなれないことに気付く。

自分が幸せになるって、簡単ではない。
ましてや、他人を幸せにするなんていうことは、そんなに甘いことではない。

自分自身が幸せになる技術を身につけていなければ、他人など、幸せにはできっこない。

まずは、一生懸命、自分のために生きることだ。
10年、20年、自分のために一生懸命、生きてみる。

すべては、そこから始まると思う。

ポタポタと水道から落ちる水の下にコップを置く。
落ちてくる水が幸せだ。

一生懸命生きていると、ポタポタ落ちていた水がだんだん沢山落ちるようになってくる。
だんだん、飲む量よりも多くの水が、落ちてくるようになってくる。
※注 ここで言う「水」はお金ではありません。

やがてコップが一杯になり、あふれ始める。
あふれた水が、周りの人を幸せにするということなのではないだろうか?

他人を幸せにするということは、そんなことじゃないかと、僕は思う。

僕は、自分に幸せに生きるための技術も能力もないのに、そんなことを目指して、10年以上の歳月を無駄にしたような気がする。

もちろん、人生に無駄な時間などない。
無駄だと思っている時も、後から考えるとよい経験だったりする。

人生遠回りをするのもよい。

でも、たまには、ぢぢいの独り言に耳を傾けるのも、よいと思うよ。(笑)

そして、僕はそんな人間になりたい。

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史上最悪のジェノサイドを行なった国はどこでしょう?

さて問題です。
史上最悪のジェノサイドを行なった国はどこでしょう?

ルワンダ?
ナチスドイツ?
クメールルージュ?

彼らの虐殺が子供のように見えます。

そして、そのジェノサイドの舞台になった国は、虐殺者達を今、愛している。
教育とは怖ろしいものだと痛感します。

※戦争とは、兵士と兵士が戦うものであり、一般市民を殺すことは禁止されています。

以下は、産経ニュースからの引用です。

引用元:
http://www.sankei.com/premium/news/170115/prm1701150012-n1.html

 太平洋の戦場では米兵による残虐行為が行われました。初の大西洋単独無着陸飛行に成功した米国人チャールズ・リンドバーグは開戦後、民間人技術顧問として南太平洋の前線に派遣され、そのときの米兵の振る舞いを著書『リンドバーグ第二次大戦日記』に書きました。

 「わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが南太平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う」とした上で、米兵が日本兵の遺体から金歯を盗んだり、耳や鼻、さらには頭蓋骨を「お土産」として持ち帰った事実を紹介しています。

 日本兵の遺体の一部を持ち帰る行為は広く行われていて、米国の雑誌「ライフ」の1944年5月22日号には、若い米国人女性が前線のボーイフレンドから送られてきた日本兵の頭蓋骨をうっとり見つめながら礼状を書いている写真が掲載されています。

 ジョン・ダワーという米国の反日的な歴史学者でさえ、こうした実態を紹介した上で「もしも歯や耳や頭皮がドイツやイタリアの兵士から収集され、それが英米国内に報道されたならば、騒然たる状況を引き起こしたに違いない」と指摘しています。

 ドイツ人やイタリア人は同じ白人であり、人種的蔑視の対象ではありませんでした。ナチスの政治体制とドイツ人は分けて考えられていました。しかし日本人については国全体を人間ではない野蛮な存在とみなしていたのです。

 ルーズベルトが「日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年遅れているから邪悪なのだ」と大真面目に信じていたという話を連載の5回目で紹介しましたが、海軍提督ウィリアム・ハルゼーは「日本人は雌猿どもと、慈悲深い皇帝によって中国から追放された極悪の罪人たちとの交尾による産物であった」という「ことわざ」を信じていました。部下に対して「下等な猿ども」をもっと殺して「猿肉」をたくさん作れと督励しました。

 「良いジャップは死んだジャップ」とも公言しました。これは米国がインディアンを虐殺していたころの軍人フィリップ・シェリダンの有名な暴言「良いインディアンとは、死んだインディアンのことだ」をもじっています。米国人は対日開戦の半世紀前の1890年までインディアンの虐殺を行っていましたから、太平洋戦線の兵士たちは父や祖父から虐殺の武勇伝を聞かされていたのです。彼らにとって太平洋の島々は「開拓」すべき「フロンティア」であり、日本人はインディアンと同様、絶滅の対象だったのです。

 米国による残虐行為の最たるものが東京大空襲や広島、長崎への原爆投下など非戦闘員の大量虐殺です。

 米国は戦争が始まるとユタ州の砂漠に東京・下町の街並みを再現する日本家屋群を作り、ちゃぶ台の上にはしと茶碗まで置いて、焼夷弾の効果を確かめる実験を行いました。そうして完成したのがM69という、わが国を焼き尽くすための新型焼夷弾でした。江戸時代の大火が春に集中していたことを調べ上げ、1945(昭和20)年3月10日を東京大空襲決行の日に選びました。

 東京大空襲の約1カ月後の4月12日、わが国を戦争に追い込んだ米大統領ルーズベルトが死去し、後任に副大統領のハリー・トルーマンが就任しました。このトルーマンが8月6日に広島に、9日に長崎に原爆を投下した大統領になります。

 わが国の一部には「日本が侵略戦争を行い、ポツダム宣言を黙殺したから原爆を落とされた」という原爆容認論があります。広島の原爆死没者慰霊碑には「過ちは繰返しませぬから」と刻まれ、修学旅行でやってきた児童・生徒が「自分たちの祖先が悪かったから原爆を落とされたんだ」と反省しています。

 米国民の多くは「原爆投下によって終戦を早め、本土決戦で犠牲になるはずの100万人の米兵の命が救われた」という根拠のない「原爆神話」「早期終戦・人命救済説」を信じています。2007年には核不拡散問題担当特使のロバート・ジョゼフが「文字通り何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせたということに、ほとんどの歴史家は同意すると思う」と、米兵だけではなく日本人のためだったと恩着せがましく語りました。

 わが国の原爆容認論、米国の原爆正当化論は、どちらもとんでもない話です。ルーズベルトは真珠湾攻撃2カ月前の1941年10月に原爆の開発を承認していました。ポツダム宣言が発表されたのは1945年7月26日ですが、トルーマンはその前日の25日に「広島、小倉、新潟、長崎のいずれかの都市に8月3日ごろ以降の目視爆撃可能な天候の日に特殊爆弾を投下する。追加分も準備が整い次第、前記目標に投下せよ」と命令していたのです。

 トルーマンはこの日の日記に「ジャップに対し、降伏し、命を無駄にしないよう警告の宣言を発するつもりだ。彼らが降伏しないことは分かっている」と書きました。ポツダム宣言とは関係なく原爆を落とすつもりだったのです。

 日記には「われわれは世界の歴史で最も恐ろしい爆弾を発見した」とした上で「ノアの箱船の後のユーフラテス渓谷時代に予言された火による破壊とは、このことかもしれない」との記述があります。これは、旧約聖書の「創世記」に登場する都市「ソドムとゴモラ」を指しているとみられます。

 ソドムとゴモラは同性愛などの退廃が神の怒りをかい、天からの激しい火によって滅ぼされたとされています。トルーマンは原爆投下を天罰と考えていたのでしょう。

 トルーマンは8月の2発に続いて、9、10、11月に3発ずつ、必要なら12月にも7発と、最大18発の原爆を投下するという軍部の計画を承認していました(1995年7月16日付ワシントン・ポストの報道)。

 現代史研究家の鳥居民氏は、ポツダム宣言はわが国が「黙殺」するように作られていたと論じました。ポツダム宣言の草案には、共同署名国としてソ連が書かれていましたが、トルーマンと原爆投下を強硬に主張する国務長官ジェームズ・バーンズはそれを削り、中国国民政府に差し替えました。わが国がソ連に和平の仲介を依頼していることを知っていたため、ソ連への期待を持ち続けさせようとたくらんだのです。

 草案には天皇の地位保全(国体護持)を認める条項もありましたが、それも削除しました。国体護持こそがわが国がこだわっていた降伏条件だったからです。

 そして、最後通告の公式文書だと思わせない形式にし、ホワイトハウスや国務省からではなく宣伝機関の戦時情報局から発表しました。

 広島と長崎に原爆を落とすまでわが国を降伏させないように、ポツダム宣言はできていたのです。米国は開戦前にわが国の戦争回避の努力を知りながら時間稼ぎをして追い込みましたが、戦争が終わるときも和平意図を知りながら引き延ばして原爆を落としたのです。

 もしドイツの降伏が遅くても、原爆はドイツに対して使われることはなかったでしょう。日本人に対する人種偏見があったからこそ恐るべき人体実験が行われたのです。

 トルーマンは広島に原爆が投下されたとき、ポツダム会談を終えて巡洋艦オーガスタで帰国する途中でした。将校から「原爆投下成功」のメモを見せられると飛び上がって喜び、「歴史上、最も大きな出来事だ」と言いました。

 トルーマンはルーズベルトに負けず劣らずの人種差別主義者でした。27歳だった1911年、後に妻になるベスに宛てた手紙にこう書きました。

 「叔父のウィルが言うには、神は砂で白人を作り、泥でニガー(黒人の蔑称)を作り、残ったものを投げたら、それが落ちて中国人になったそうです。叔父は中国人とジャップが嫌いです。私も嫌いです。たぶん人種的偏見でしょう。しかし私は、ニガーはアフリカに、黄色人種はアジアに、白人はヨーロッパと米国にいるべきだと強く信じています」

 原爆投下を受けて、全米キリスト教会連邦協議会のサミュエル・カバート事務総長はトルーマンに「多くのキリスト教徒が動揺している。それが無差別破壊だからだ」と電報を送りましたが、トルーマンはこう返信しました。「獣を相手にするとき、あなたはそれを獣として扱わなければならない。大変残念だが、それでも真実だ」

 戦後も「後悔していない」「全く心が痛まない」と繰り返し語りました。1958年のCBSの番組で、道義上の問題があるので決定は難しかったのではないかと問われると、「とんでもない。こんな調子で決めたよ」と、ボーイを呼ぶように指をパチンと鳴らしました。

=つづく
(地方部編集委員 渡辺浩)

*****引用ここまで*****

だそうです。
つづきが楽しみです。



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何のために生きるのか?「スティーブジョブズの最後の言葉」を観て

脳細胞は、一度壊れると二度と再生はしない。

僕はこの数年間、病んでいた。

その期間の中には、本当に色々なことがあったし、色々なことを想い、そして、死と直面する毎日を送り、家族をはじめ、たくさんの方に迷惑もかけた。

でも、脳というのは、細胞は復活しなくても、脳全体の機能としては少しずつ戻るらしい。

ようやく最近、少し長い文章も書けるようになってきたので、4年ぶりにこのブログを更新しました。

昨夜、「スティーブジョブズの最後の言葉」というYoutube動画を観た。
https://www.youtube.com/watch?v=-lq4tnggpEw

短い動画だし、むずかしいことを言っている動画ではないので、あらためてここで内容の解説はしない。

要点としては、「富では本当の幸せは得られない」ということを言っている。

ジョブズが亡くなってから時間も経ち、今頃なんでこんな動画が出てきたのか?とか、そもそもの出典があやしい、とか、いろんな意見があります。

たぶん、本人の身近な人が作ったのではなく、故人を悼む方が彼の生き様をみて、想像の中で作ったものなのかもしれない。(日本語字幕だし。)

そもそも、ジョブズが「富を目指して仕事をしていたのではないのでは?」というところでもあるが、それもここでは置いておく。

少なくとも、100万回近く再生され、1000人近くの人がシェアしている動画なのだから、それなりに人々の心を動かしていることには間違いがないだろう。

さて、今回はこの動画のテーマでもある、「幸せ」についてを考えてみたい。

この動画の言う通り、お金では幸せになれないのであれば、なぜ、人は、お金が幸せを生み出すと誤認するのだろうか?

お金が幸せを生み出すのではないという人が多いけど、本当にそうなのか?

その言葉には、若干の違和感を感じる人が多いのではないだろうか。

少なくとも、僕は違和感を感じた。
その違和感が何なのか?ということを考えてみた。

まず、ここで、この動画では言っていない一つの事実を言っておきたい。

不幸に貧乏が重なると地獄である。

これは事実だと思う。

僕自身、18歳の時に新聞奨学生に申し込み、実家を飛び出し4畳半一間の部屋からスタートした。

途中、バブル経済の楽な時代を過ごし、その頃、自らの甘さで背負った借金の返済に、その後の10年以上を費やした。

貧乏は結構味わったので、「不幸に貧乏が重なると地獄」であることは身にしみてわかる。

世の中にはいろんな不幸がある。

自分の心が招く不幸もあるし、戦争や犯罪などに巻き込まれて起きる、ある意味、不可抗力に満ちた不幸もある。

そんな不幸に陥った時に、貧乏が重なると地獄だ。

誰しもが、いくつもの不幸を経験しながら大人になる。

そんな不幸を経験する中で、お金が不幸を少しだけやわらげてくれることを知るのではないだろうか。

不幸をやわらげてくれるお金。

例えその不幸が、不可抗力である戦争に巻き込まれた時であったとしても、お金が不幸をやわらげてくれるのは事実だ。

お金によって海外に逃げ出すことができるかもしれないし、自宅に核シェルターを作ることができるかもしれない。

少しだけ幸せ度をあげてくれるお金。

そんなところから、お金が幸せを生んでくれると人は誤認するのだろう。

でも、お金は不幸をやわらげてくれるけど、本当の幸せはもたらさない。

幸せをもたらさない、とまで言うと言い過ぎかも知れないが、少なくとも、お金はただの道具に過ぎない。

道具は使って何ぼである。

なので、お金を増やすことが目的になってしまっては本末転倒である。

何のためにお金がいるのか?

自分の幸せを増やすには、いつ何をしたいのか?

それをするために、時間とお金がどれ位必要なのか?

一般的に、時間とお金は反比例する。

お金がある人は時間がないことが多いし、時間のある人はお金のない人が多い。

その両方を手に入れるために働いている?

それはそうかもしれない。

でも、どれだけの金額とどれだけの時間があれば、幸せになれるのだろうか?という、具体的な指標を持っている人は少ないのではないだろうか。

いつか、時間とお金を手に入れたい。
と、思っているだけでは、現実に両方を手に入れられる人は少ないだろう。

いつまでにいくら手に入れるのか?

そして、そのお金を何にどう使うのが、自分の幸せに結びつくのか?

漠然とした夢は実現できない。

夢を現実にするには、具体的な目に浮かぶ目標が必要である。

いつまでにどうなる。(どうする、でもよい。)

この「どうなる」が具体的であればあるほど、実現の可能性は高い。

別に最終目標ではなくてもよい。

近未来の小さな目標でも、良いと思う。

その小さな目標の実現を積み重ねることによって、豊かな人生が送れるのではないだろうか?

僕の直近の目標は「15万バーツ」のお金と「1ヶ月」の時間を作ることだ。
小さいなぁ。でも、僕はこれで幸せなのである。

さて、本当の幸せはどこにある?

人は死ぬ時、それまでの人生が走馬灯の様に蘇る、と言われている。

走馬灯の様に蘇るかどうかは別として、自らが望まない死に直面した時に、これまでの人生を振り返るのは当たり前かもしれない。

そして想う。

自分にとって、自分の人生は何だったのだろうか?

さて、
あなたは、自分の人生を何のために、使うのだろうか?



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仕事を生み出す人と仕事を失う人

さて、世の中あまり景気が良くないですね。。。
って、景気が良くない会社(人?)はずっと良くないし、良い会社(人)にとっては別に景気は悪くもない。
そんな世の中は、今後もずっと続くことになると思います。

よく「産業構造が変化した」なんて言われますが、これってどういうことなんでしょう?

先日のブログにも、なぜ?を考えることが大事だという話を書きましたが、根っ子ではこの話と繋がっていると思っています。

会社でも人でも同じですが、なぜ?を考えて、より合理的で便利なルールやサービス、製品を考えだせる会社(人)と、他社のそれを使う会社(人)に分かれていっていると思うのです。

僕って、IT業界って丸っと一括りにされる業界にいますが、中でもネットワーク技術者を多く有する会社にいます。
その中の身近な例で考えると。。。

先日、「オープンフローって知ってます?」とある取引先の方に質問されました。
恥ずかしながら答えることができなかったのですが、その後、調べました。

オープンフローというのはネットワークの仕組みの新技術で、昨年5月には世界に先駆けてNECから、このオープンフローの技術にのっとった製品が発売されていました。

これまで、ルーターとかスイッチとかって、個別に設定をしないと使えないことが多い、というか、これを設計構築、運用しているのがネットワーク技術者だったりしますが、これがかなり便利になる仕組みがこのオープン
フローなんですよ。

今の技術ではサーバの前にロードバランサーを置いてサーバの負荷を分散したり、インターネットの境界にはファイヤウォールを置いて外からの侵入に備えたりしています。
通信機器の間にはスイッチをはさんで、場所によってはルータを置いて、それらの各機器にベンダー毎のルールに則った個別の設定を入れないと、ネットワーク全体が思った様に動いてはくれません。

これが、2種類の機器で代用できるというのがこの仕組み。
「オープンフロースイッチ」と「オープンフローコントローラー」という2つの機器がそれです。

さっき書いた「ロードバランサー」とか「ルータ」といった機器に成り変われるのが「オープンフロースイッチ」で、このオープンフロースイッチをコントロールするのが、文字通りオープンフローコントローラーです。

これまで、個別の専用機器を設計設定していたのが、コントローラーにプログラミングしてやると、その通りにネットワークが動作するという仕組みです。

何が便利なのか?

コントローラーの設計設定は必要ですが、構築してからが圧倒的にラク。
物理的には二重三重に網の目の様に繋げておいても、どの様な経路を通すかはコントローラーへのプログラミングで決まる。
今のネットワークでは、繋げてしまった瞬間にループが発生したりして通信ができなくなったりするけど、そんなことも起きない。
お~便利じゃん。

網の目につないだオープンフロースイッチの一つが壊れたらどうなるか?
コントローラーが自動的に迂回路を見つけて通信は継続される。
お~便利じゃん。

ん?今もそうなってる?

今現在の技術での冗長構成というのは、例えば2本通信線を引いておいて片方が切れても大丈夫、とか、2台機
器を並べておいて、メインが壊れるとスタンバイに切り替わるとか、そういう仕組みが多い。
だから、個別に回線や機器を2重に設置せねばならず、コストも手間も倍かかるわけです。

このオープンフローの仕組みだと、例えばルーター機能として動作しているオープンフロースイッチが壊れたら、迂回路のオープンフロースイッチにルーター機能を持たせてやれば通信は継続できるという考え方。
同様にファイヤウォール機能として使っているオープンフロースイッチが壊れたら、迂回路のオープンフロースイッチにその役割を任せることができる。
あらかじめコントローラーに設定しておけば、自動で障害発生時に通信は自動復旧されるようにプログラミングが可能というものだ。(お~。やっぱ便利ぃ!)

さらに、これらの仕組みは現在のネットワークでは各社個別に保有して構成しているケースが多いのですが、論理的に分けられるので、各社でシェアして使えるのだ。
これは大幅なコストダウンに結び付く可能性がありますね。

今はまだ、オープンフローの製品ってほとんどないし、使っているところも限られているので馬鹿っ高いですが、普及すれば、、、ですね。
まずはデータセンター内部に導入され、段々コストが下がってくると一般にも広く使われることでしょう。

と、何でこんな話をしたのか?

これって、技術の進歩の一例ですよね?
他の業界でも同じような技術の進歩ってある訳で、日々、世の中は進歩していきます。

さっき書いたオープンフローの仕組みが社会に普及すると何が変わるのか?

便利になるってことは、裏では仕事を奪われる人とか会社っていうのが出てくるわけですよ。

例えば、ネットワークを監視している会社ってありますよね?
専用の監視装置を設計構築して、その企業のネットワーク機器を個別の重要度に分けて監視して異常を検知したらあらかじめ決めておいたルールに基づき報告連絡しつつ、修理するという仕組み。

オープンフローではコントローラーに設定されていれば、自動でネットワーク機器を監視してくれます。
そして、故障を検知したらあらかじめ設定したポリシーに基づき、自動で通信を迂回してくれる。

通信が迂回したら、あせらず急がず、修理手配すればよい。
監視する人もいらないし、異常を検知したらそこで何が起きているのかを即座に調べる技術者も要らなくなる。
365日即時駆け付け対応の高額な契約なんかもいらなくなるかもしれません。
(サービスが止まらなければ、そんなに急ぐ必要はないので。)

年度末の部署異動の時期、席替えに伴ってネットワーク機器の設定変更が多発。(Vlan設定とか)
なんていう時も、個別の機器を設定するのではなく、コントローラーのプログラミングを変えるだけで、個別機器の設定はいじる必要が無かったりする。
そこでは相当な手間が減るわけで、手間が減るっつーことは、それによって仕事を失う人もいるかもしれない。

さてさて、ここで仕事を失う会社とか人ってどんなでしょう?

コントローラーをプログラミングしたり、そのプログラミングのもとになるポリシーを設計する人は、多分、仕事も一杯あるし、従って景気も悪くはならない。というか、超忙しいかもね。(儲かる儲からないとは別だが)
反面、監視センターでアラームが鳴ったら決められたフローで、電話とかメールとか書いていた人は仕事を失うかもしれない。

かつて、自動改札が導入され、切符切りの人の仕事がなくなったのと同じ。

あなたの仕事は、どちらの種類の仕事ですか?
イノベーションで機械やシステムにとって代わられてしまう仕事なのか?
あるいはそれらの仕組みを考え作り出す仕事なのか?

「世の中全体が景気が良くなることは無い」というのはそういうことだと思います。

第一次欲求(睡眠欲とか食欲とか)が満たされるまでは、一律で社会が成長していくので右肩上がりの社会を維持することはそれ程難しくない。
例えば、2軒に1軒しか冷蔵庫が無い時代は、人よりも沢山、それこそ寝ないで冷蔵庫を作れば儲かった。

でも今は、どこの家でもきちんと冷える冷蔵庫を持っている。
壊れたって、それこそリサイクルショップにでも行けば、二束三文でそれなりの性能のモノが買えるし、ビックカメラで特売品を探した方が安いかもしれない。

第一次欲求とか第二次欲求(安全)とかが満たされない世の中って、みんなの欲求の方向は同じだからわかりやすいんですけど、第三次欲求以上の高次の欲求というのは個人の嗜好によって大きく方向が変わるので、何をすれば儲かるっていうのが簡単ではない。

そんな中、技術のイノベーションや国際化も進んでいくので、単純労働の価値がどんどん下がっていく。
誰でもできることは、機械に置きかえられたり、物価の安い国の人に置きかえられたりする。

それらに置き換えられない仕事をしている会社や人は景気が良く、置き換えられちゃった人や会社は不景気になる。
将来的にはプログラミングのできないネットワーク技術者って使い道がなくなるのだろうし、おんなじことがいろんな業界で起きるし起きている訳で。

もちろん、それ以外の理由で景気の悪い業界や会社や人も沢山いるけど、ビジネスとか仕事を考える上では、結構大事な考え方ではないだろうか?って、思うんですよねー。

僕自身も置き換えのできない仕事を生み出す人にならねばならないと強く思っております。

でわでわ。



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何故?を考える力を鍛えよう!

みなさま、新年あけましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いいたします。

さて、昨日の通勤路で思ったこと。
自宅から駅に向かう途中の道は、車はめったに通らない道。(センターラインがある細い道)
車が少ないせいか、朝はこの道で駅に向かう自転車が多い。
並行しているバス通りは交通量が多く、自転車では走りづらいからなのでしょう。

駅までの道のりでは、小学校の通学路を横切ります。
この通学路には、押しボタン信号が付いているのですが、小学生は律儀に100%ルールを守る
反面、信号を無視する自転車の多い事、多い事。
彼らの脳裏には「大人はルールを守らない!」という事実が完全に刻みこまれているでしょう。

自分が片側1車線の道を自転車で走っていて、一方通行の細い通学路との交差点には押しボタン信号がある。
この一方通行の道はスクールゾーンに設定されているので、朝の通勤時間帯は車は通らない。
左右を見て小学生の横断がなければ、信号は無視するのが大人の常識?

これって、どう思います?

大人も100%確実に信号を守るべきだ、と思う人って多いのかな?
言うのは簡単だけど、守ることは合理性に欠ける、とも思います。

僕は、自分の子供には「自分が人を傷つける可能性があるなら絶対守るべき。
自分の身を守るためであるなら、自分の責任において守らないでもよい。」と
教えています。(これについては賛否両論あると思います。この話は後程。)

彼ら小学生は、やがて中学生になり、いずれ、皆、大人になっていく。
その過程で、彼らはどの様に自分の中でこの事実を消化していくのだろうか?

親のしつけでも、学校のルールでも「きまりを守る」というのは、筆頭に挙げられる事項でしょう。
もちろん、決まりを守らないでもよい、なんていうことを言おうとは思いません。
守らないと、社会という共同組織は成り立ちませんから。

ただ、決まりを守ることにとらわれて、もっと大事なことを忘れていないか?という話です。

ホリエモンが塀の向こう側に落ちた時にもメールやブログに書きましたが、彼の様な倫理観を作り上げているのは「ルールを守れ」ということを徹底して言われ、守ってきた反動ではないか?とも思うのです。

彼は日本では最難関と言われる東京大学に入学しているくらいですから、勉強はできるのでしょう。普通に考えると優等生ですよね。
その彼が塀の向こう側に落ちることになった。

彼は荒稼ぎをするにあたっても、社会のルールである法律遵守には注意を払っていた。
むしろ、法律の網をすり抜けた裏技的な技法で荒稼ぎをした。

話の本筋でもありませんので今さら詳しくは説明はしませんが、彼は自社の株式を分割をすることで、市場に流通する株券を減らし、意図的に市場に「ゆがみ」を作って株価を吊り上げた。
それによって自社の時価総額を増やしていったわけです。(一般投機家から金を巻き上げた)

株式分割によって株価を吊り上げるこの方法を取り締まる法律はありません。(当り前ですが)

本当は検察当局も、タックスヘイブンの投資事業組合を使った金の還流システム全体を摘発したかったのでしょうけども、そこまでは手が及ばなかった。
結局、有価証券報告書への虚偽記載などの罪で実刑判決を受けたわけです。

法律に違反した部分については微罪とまでは言わないですが、そんな罪でいきなり実刑なの?という感覚を、僕は持ちました。
虚偽記載で有罪となった事例では、会社が倒産して沢山の人に迷惑を掛けた事案では遡って虚偽記載の捜査が行われた例は沢山ありますが、普通に運営されている会社に対して強制捜査が行われた例はあまり聞いた事がありません。
なので、捜査当局の意図、を感じてしまうのです。

ただ、彼は倫理的には「黒」だと思います。僕も。だから、結果オーライ?
法治国家でしょ?日本は。という声も聞こえてきそう。
大岡裁きや必殺仕事人みたいのが大好きな日本人にとっては、ライブドア事件は胸のすく話なのかもしれない。(あ、僕も好きですけどね。必殺シリーズは。)

ホリエモンって、子供の頃は真面目に信号を守って道路を渡っていた小学生だったのかな?って思います。
「ルールを守れ」ということを学生時代に徹底して仕込まれたのかな?って。

ルールを守ることにばかりにとらわれ過ぎて、盲目的にルールを守ることがよいことだと思ってしまう人って多い。
しかし、彼はそんなに「うぶ」でもなく、そんな社会の裏を掻いた。

何を言いたいのか?

ルールを守ることよりも大事なことがあるでしょ?という話。

僕は、倫理的に考えて、それって良いことなの?悪いことなの?という観点で価値観の尺度を持つべきだと思っています。

盲目的に「ルールは守らねばならない」と考えるのは、ある意味良いことなのか?悪いことなのか?の判断を他人にゆだねてしまうことになると思うのですよ。
そのルールを作った人に判断を委ねてしまっている。

人を殺しては駄目とか、盗んでは駄目、というわかりやすい話はどうでもよい。
そういう話ではなく、校則だとか法律でさえ、おかしなものはある訳で、それを盲目的に守ることが決して良いことだとは思えません。

例えば、煙草。
これって、生物学的に言ったら100%体に悪いものでしょう。
これを国家として販売していく、という法律が、今も存在しているのはご存知の通り。

税収が・・・?
いやいや、タバコ税の収入なんて、国民が健康を損なう損失に比べたら、比ではありませんよ。
トータルで考えたら税収などは微々たるものですし、少し考えれば、代替財源が作れない訳はありません。
最近話題のハンガリーのポテチ税の方が、数倍「まし」ですよね(笑)

そのルールは何故できたのか?を考える能力が、最近、著しく低くなっていないだろうか?
なぜ?をまったく考えずに「守らねばならない」で思考停止。

赤信号の話。

まだこの国に今ほど外国人が住んでいなかった30年位前のテレビ番組で、ある外国人がインタビューに答えていました。
リポーターの「日本に来て一番びっくりしたことは何ですか?」という問いに、「深夜の田んぼの中の交差点で、歩行者が信号が青になるのを黙って待っているのを見て、気持ち悪いと思いました。」と、答えていました。

僕も気持ち悪いと思います。

だって、見通しが良い交差点で車なんか来ないのが百も承知なのに、歩行者が信号を守ることに何の意味があるのでしょうか?
そのルールは何故できたのか?っていうことを、少し考えればわかる話ですよね?

これが、歩行者ではなく、車であれば、信号は守らねばなりません。
暗闇から人が飛び出してくるかもしれませんし。

息子や娘に「歩行者なら場合によっては信号は守らなくても良いよ」と教える父親の話。(僕のことですが)
むしろ、子供達は「父さん、何言ってんの?守らなきゃ駄目だよ。」と言います。

でも、何故?そのルールができたのか?を考えて、その理由を理解しなければならないことを説明します。

歩行者の場合は、他人を傷つけるということよりも、自分の身を守るためにそのルールが存在する。
で、あれば、守らなくても自分が困るだけ。
その場合、オウンリスクで守らないことは僕の倫理観では○です。
(ご理解いただけていると思いますが、車がバンバン走っている道をかまわずに渡ってよいと言っているのでは、ありませんよー。)

しかし、他人を傷つける可能性のある乗り物に乗っているならルールは守らねばならない。
それが赤信号の本当の意味だと思っています。

日常的に当たり前と思っていることでも、何故?って改めて考えると、おかしなことは沢山ありますよね?
それが、ブログネタになったりしているわけですけど。。。(苦笑)

では、今年もそれなりにルールを守りつつ、頑張っていきましょ~♪
(この言葉、相容れない人って、いるだろうな)

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心に定規を。。。

チュニジアで民衆によるデモから発展したクーデターがありましたね。
チュニジアでは、民主主義を後押しするという表看板の元、デモを行う民衆を支援する発言をアメリカ政府は繰り返していた。
その効果もあり、世界世論の流れも民衆支援に傾き、あっけなく政権は打倒されてしまった。

その後、バーレーンやエジプトに、その動きは飛び火した。
しかし、エジプトでは、同じ民主主義の表看板はトーンダウンした。
それどころか、オバマ氏はイスラエルと連携し、ムバラクを影で強力に支援したと思われる。

なんで?
民主主義の支援をするんじゃないの?
世界の警察官じゃないの?

いえいえ、違います。
それは表向きの話で「自国の利益を守る」というポリシーで動いていますので。

アメリカという国はがっちりと一本の筋が通っている。
その根本ポリシーは国の存在意義と直結している。

「自国の利益」

この追求に尽きる。

当り前と言えば当り前のことだが、国際政治においては、影に日向にあの手この手を使わないと自国の利益は守れない。

エジプトの話に戻ろう。
ムバラクは自国に対しては秘密警察でがんじがらめにしてきたが、外交的には西側諸国寄りの立場をとってきた。
中東では数少ないアメリカやイスラエルに表立って敵対しない国だ。

いくら多数の民衆による民主化運動の末とはいえ、ムバラク政権には倒れてもらっては困るのだ。

ましてや、次に政権を担う可能性の高いグループはイスラム原理主義の組織になる可能性が高い。

なので、デモが表面化するや、大統領派というこれまでなかった組織が突如、降って沸いたように現れ、組織的に反政府デモに対抗する様になった。
そして、どこからともなく、このまま内戦状態になることは最終的に自国民の利益にはならないので、デモはやめるべし、という主張が聞こえ始める。
この大統領派の中心には、もちろんアメリカとイスラエルの思惑があることは明白だ。

アメリカやイスラエルの影の抵抗も空しく、民衆による民主化の流れを押しとどめることはできず、ムバラクは2/11には30年統治してきた権力の座から降りる事になったのは記憶に新しい。
(これはこれで、困ったことだが。)

そしてリビア。
ここでは、エジプトとはうって変わって民主主義の先鋒だ(笑)
世界の警察官、ここに現る、と言わんばかりに、リビア上空を飛行制限区域に指定するように国連常任理事会に圧力をかける。
完全な内政干渉だ。

大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国、通称、リビアは長年、アメリカとは敵対してきた。
一国の外交を代表する立場の者が、他国の指導者に対して「狂犬」という言葉を使う程の関係だ。

たしかにカダフィの元で暮らす人々は悲惨だ。
私物化された国家の中、力でねじ伏せられて生き延びていく不幸は凄まじくも悲しみに満ちている。
その意味では正義かもしれないが、そんなことを考えて、アメリカという国が立ちあがっているわけではないことを、きちんと認識せねばならない。(他にも沢山不幸な国はあるが自国の利益が絡まなければ、まったくもって、見て見ぬふりだ。)

指導者にはポリシーが必要である。
国であれ組織であれ、良い(と言われる)指導者は皆、一つの明確な尺度を持っている。
一つひとつの事象に対峙した時に、その尺度に照らしてどうか?で、物事を判断する。
こういう指導者は"ぶれない"。

アメリカにとっての一つのポリシーは「自国の利益」だ。
スエズ運河を手放すことでどれだけの経済損失が生まれるのか?
アラブ諸国の数少ない友好国を失うことはどれだけの損失になるか?
エジプトが原理主義化する事は、イスラエルの安全保障上では激しくマイナスとなる。
"だったら"どうするのか?というのを考えて、行動する。

その都度、一定の尺度ではなく、周辺状況や自国の事情などを加味して事柄にあたると、一貫性がなくなり、後々、辻褄の合わないことが発生することが多い。

管さんも鳩山さんも優秀な人なのだろうけども、この一貫したポリシーというものがない為に、一つひとつの事案について都度考えて決める。
色んな事情を鑑みて対応するから右往左往してしまう。
もっと、大筋での具体的なポリシーを決めるべきだろう。
(そんなことだから外務大臣にも「いち抜けた」で離脱されるのだろう。)

小泉さんは、(善し悪しは別として)財政再建をせねばならない、その第一歩目として郵政民営化をせねばならない、ということをやるために首相になった。
やったことが良かったのかどうかは良く分からないが、やったことは少なくとも、明確だ。

鳩山さんは何をしたのだろう?
管さんは何をしようとしているのだろう?
自民党から政権奪取した。そして何をしたのか?

政権を獲る為に耳触りのよいマニュフェストを用意した。
政権奪取したら、現実に対処せねばならないので、一部を残して他は目をつぶることにした。

どれを残すか?

そこでポリシーが問われる。
現実と照らして、一部方向転換は致し方ない。

ただ、財政再建という外せない路線がある。
では、それに対して、何処にだけは金を使うのか?
教育なのか?年金なのか?景気回復なのか?
どれを取るのか?それがポリシー。

全部を少しずつ、は最悪の選択。これが今。

どれでも良い。
一つ決めて、そこはぶらさない
結果「教育だけは良くなった」とか「景気は回復した」でよいのだ。
そしたら、それを足がかりに次を考えればよい。

理想だけでなく、現実解を導き出さねば支持は得られない。
というか、政治家としては存在意義は無い。

民主党のホームページを見ると「地球社会の一員として、自立と共生の友愛精神に基づいた国際関係を確立し、信頼される国をめざします」と書かれている。

そんなことができるのか?
竹島には韓国の国会議員が戸籍の本籍地を移した。
尖閣諸島周辺では、中国の船が我が物顔でうろうろしている。
外国漁船による漁具の破損などの被害が相次いでいるし、竹島同様、中国人俳優の孫海英氏は自身と妻の呂麗萍さんの戸籍を正式に尖閣諸島に移したと発表し、中国人より称賛されている。
北方領土では、ロシアと第三国を巻き込んだ共同開発を進めようとしている。

そんな国々に囲まれながら「友愛精神に基づいた国際関係」などが確立できるのだろうか。
一個人の想いとして「友愛精神」は立派だと思うが、国家や国際政治にそれを持ちこんではいけない。

すこーしずつではあるが、国民感情として「理想ばっか言ってたんじゃ生き残れない」というのが、芽生えてきていると思うのは錯覚だろうか?
国民レベルと政治レベルは比例すると言われている。

いざという時に、半島の北側から押し寄せる、数万人規模の難民船を武力をもって引き帰させることができるのか?
難民に銃を向けるとヒステリックになるマスコミをどう黙らせる?

上陸した途端に、立ち上がる武装難民達はゲリラ化する。
そして在日スリーパーと連動した同時多発テロが各地で発生する。
流暢な日本語をしゃべり、似た様な顔をした民族の恐ろしさ。

何処に落ちるかわからない核&テポドンなんかを使うよりも、よっぽど現実的でかつ、効果的な戦略だ。

核ミサイルは撃った途端に、正確に飛来する大陸間弾道弾で反撃され、平壌は更地にされる。
しかし、武装難民を数万単位で送り出したところで、国民が勝手に逃げ出していると、しらを切ることもできるだろう。

軍服を脱いだ特殊部隊の兵士と難民の区別はつかないのだ。

その時、沖縄に海兵隊がいなかったら。
即応できるのは韓国軍のみ?
政治的に即応できるのは海兵隊であり、海軍やら空軍が連携して動くには、様々な調整やら手続きが必要となる。

アメリカ軍抜きの自衛隊独自の防衛戦争は、これまでの想定に無い。

さらに言うと、宣戦布告なき、武装難民との戦いに、勝ち抜く戦略をこの国は持たない。

そんな日が来ないことを祈るが、そんな日が来ないと一本筋の通ったポリシーを持った政治には、なっていかないのかなぁ。

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素朴な疑問(空恐ろしく感じる。。。)

原爆の日。

たった2発の爆弾で数万人以上の命が一瞬で奪われた。
この国の人達は、なぜ、原爆というモノを憎んで、それを使った人を憎まないのだろう。

不思議な感情だと思う。
良いとか悪いとかというのではなく、感情として奇妙だと思うのだ。

原爆は、一人でひょこひょこ歩いて来て爆発はしない。
誰かが意志を持ってそれを運んできて、兵士ではない市民を殺戮する目的ためにボタンを押さねば爆発はしない。

原爆の日。

周りを見ても、テレビを見ても、アメリカを悪く言う人は誰一人いない。

逆にそれが空恐ろしく感じる。

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モチベーションアップと顧客満足

Date: Tue, 19 Dec 2006 20:55:51 +0900

近くの美容院の話です。
今どきの美容院は、スタッフの力量に合わせて料金が違っていたりするらしい。

普通の技術者は「カット\3,500」だそうな。
その上のランクになると「カット\4,500」で、その上だと「同\6,000」となる。
最高ランクになると「\8,000」とのことだから、その開きは倍以上。

それぞれのランクの中でも「指名」ができる。(指名の数によってもランクが上下するらしい。)これがミソ。

指名を得ようと思ったら、各自その場限りではないサービスを目指すことになる。
各技術者は、一度会ったお客様の名前とその髪型、趣味やらはてまた家族構成まで、会話の中で得た情報を自分のノートにびっしり書き込んでいる。

次にそのお客様に指名をもらったら、髪型の好みは一から聞かなくても判っているわけで、お互いに便利。(お客も一から十まで説明しなくて良いから楽チン)

それこそ、カットしている間に読んでいてもらう雑誌の種類もお客様の好みのものを渡してくれる。(ファッション雑誌なのか?料理雑誌なのか?とか。)

\3,500_のランクの技術者になるにもその道のりは簡単ではなく、最初は店の「掃き掃除」から始まり、その他の補助業務を経て、シャンプーなどを任される。
その後、実績を積んで「\3,500_技術者」(失礼)になるわけです。

どんな分野の技術の道であっても、自分が今どのランクにいて、あと何ができると次のランクにあがるのかが明確な仕組みというのはモチベーションに良い影響を与える。

いきなりトッピンクラスには成れなくても、あといくつの指名をもらう常連客を増やせば次のランクにあがる、というのがわかるとがんばれる。
あと少し!という、がんばり甲斐があるわけです。(あと5人でランクアップ、と思ったらがんばるでしょ?)

で、これはお客様満足にも直結するわけで。(満足してもらわないと指名は取れないのだから。)

それに引き換え、私がこないだ行った床屋では。。。
カット中によそ見をしており、耳をカットされ大出血。
傷はたいしたことがなかったのですが、耳たぶっていうのは血がなかなか止まらないものですねー。

散々痛い思いをさせられて、料金は通常通りしっかりと取られ、「またどうぞ!」って、2度と行くもんかーーーー!
もう、こりごり。。。(とほほ)

命のともしび

Date: Sat, 28 Jan 2006 02:43:55 +0900

今朝9時ちょっと前の東京駅での出来事です。
(日付が変ったので昨日ですが。)

東京駅のプラットホームの階段を下り、キオスクなどの並ぶ構内地下道を歩いていると、片隅に警察官が3人うずくまっている。
なんだろうと歩みを緩め、目を向けると、どうやら警官の一人は倒れているおじさんに心臓マッサージをしている。
もう一人は人工呼吸を施しており、3人目は無線でなにやら話をしている。(救急隊の要請かな?)

でも、なんだか違和感を感じて周囲をしばし観察。。。

違和感というのは、こんな状況ならば、野次馬が集まって人垣ができてもおかしくないと思うのですが、誰も彼もチラッと見て、そのまま立ち去っていく。(1分間に数百人が通る場所です。)

その冷たい空気が違和感の元でした。
野次馬として覗き込むのが暖かいと言うわけではありませんが、人一人が死ぬか生きるかという状況で、大の男が3人がかりで魂をどうにかこちらの世界に呼び戻そうと必至になっている傍らを、コツコツという足音だけを残し、皆、通り過ぎていく。。。

何でだろう。
東京という土地柄、と言ってしまえばそれまでかもしれません。
今や、古くからの下町は少なくなり、日本各地から集まって来た人達の集合住宅がほとんど、となった街ではコミュニケーションは希薄となっていく。
でもそんなことは、数十年前から起きていたわけで、そんな理由では無いのでは?という更なる疑問。

どうなんでしょう?
余裕が無いのかな?

携帯電話やインターネットの普及によって、生活スタイルや仕事のやり方自体が変ってきている。
以前なら、タイムカードを押して会社を出てしまえば仕事からはほぼ完全に解放されたかもしれない。
自宅の電話で呼び出されると言うのはよっぽどの状況で、医者等を除けば、ほとんどの業種でそれほどの事はあまりなかったのではないだろうか。
固定電話よりも、より気分的にかけやすい携帯電話での呼び出しにしても、よっぽどのことがないと、普通は無いだろうし。

しかし、曲者はインターネットメール。(便利な分、曲者。)このメールは様々な仕事でも活用されている。
携帯電話に仕事のメールの転送なども簡単にできてしまうため、知らなければ翌営業日に対応していたことも、知ってしまったが故に、休日出勤などということもあるのでは無いだろうか。(むしろ、出勤せずとも自宅からメール等を使って仕事ができてしまうので、よりタチが悪い。)
「自宅なんかで仕事のメールを見なければいいじゃん」という話ではあるのですが、知ってしまったら対応せざるを得ないということもあります。(今、その仕事を片付けてしまった方が翌週の自分のためになるのなら、なおさらですよね?)

医者が自宅で「死にそうな患者のヘルプを求める他の病院からのメール」を見てしまったら、対応せざるを得ないという気持ちになる人が多いと思う。
私などでもメールを見てしまったから、休日でも対応してしまうということがある。
私の仕事は人の命には直接関係ないので、そのまま「翌営業日に対応」でも構わないのだが、状況が悪化するのが目に見えている場合はどうでしょう。
今対応すればそれほど大事にならないかもしれないが、翌営業日までそのまま放置しておいたら、相当なエネルギーが必要になりそうな場合ってありますよね?
いくら休みでも、チョコッとの仕事で済むならやっておこうかな、などと思ってしまうのです。

はてさて、長々と書いてきましたが、仕事のスタイルが変ることによって、仕事のスピードは早くなり、一人ひとりの守備範囲も広がり、責任も増加している。
そんな社会構造が人々を疲弊させているのかな?と思うのです。

疲れていても必死な毎日を送っていたなら、すぐ傍らで人の命のともしびが消えていこうと、直接自分に関係ない人で、しかも、警察官がきちんと対応しているなら、自分には関係ない、という気持ちになるのでは無いだろうか、などと考えたのでした。

この時代変化を、ただのストレス社会にしないためにはどういう仕事のやり方、考え方が自分にあっているのか?をよーく考える必要があるのかな?などと思うのです。
自分が疲弊、磨耗しないための方法論を、ですね。

ホリエモン逮捕

とうとうライブドアの堀江社長が逮捕されたそうです。
もし、あなたがライブドア傘下の会社の社員であったらどうするでしょう?

度重なる企業買収で傘下の企業は様々な業種に及んでおり、あながちあり得ない話でもないですよね?
(消費者金融からマンション販売会社、下着の通販会社などもライブドア傘下ですし。)
好むと好まざるに係わらず、自分の関係する会社のM&Aは起きる可能性があります。
しかし、その本体の会社がおかしな事になったら。。。
(東証はライブドアを監理ポストに置く事を決めたそうです。)

負債を抱えて倒産というケースならあらかじめ社員にとっても覚悟があると思いますが粉飾決算などの話であると、経営幹部ならともかく一般社員にとっては寝耳に水となる可能性が高い。
ましてや傘下のグループ企業であれば、経営陣すら聞かされていないことがほとんど。

ま、そのままグループ企業全てが倒産というケースはほとんどなく、大規模なリストラクチャリング(首切りという意味ではなく本来の意味での「再構築」)が行われるわけです。
そんな時、あなたがその会社の社員だったらどうするでしょう?

1.じっと見守る
2.チャンスとばかり奮起する
3.見切りをつけて辞める

選択肢はだいたいこんなところでしょうか。
(ここから先は、科学的根拠のない戯言です。斜め読みしてください。)

さて、実際には起こってみないと何が結果として正解だったのかは、わかりません。
でも、一般的な傾向というのはあるだろうし、合理的に考えた確率の高い回答もあるのかもしれません。。
根拠もない経験則ですが、おそらく1を選ぶ人が一番多いのではないでしょうか。
「運を天に任せて」というのは言い過ぎですが、状況を見ながら「いける」と思ったら積極的に転じようかな、と思っているという人。

選びやすい選択肢ではありますが、この「いける」というのは具体的にどういう状況なのでしょう。
この、自分にとって「いける」という状況が、具体的に絵として頭に描けない場合は、「様子を見る」というよりも「待ちの姿勢」であるといえます。

多くの場合、ただ待っている人には大きなチャンスは降ってきません。
チャンスを掴む側の立場で考えるとわかりづらいですが、チャンスを与える側の立場に立って考えてみましょう。
(相手の立場で考えるのはセオリーですね。)

あなたはこの企業の再建を請け負った経営者です。
何をするかといえば、最初にこの企業の得手不得手を理解する。
(他社への優位性とか、業界でのポジションとか。)
そして、採算性の高い、あるいは将来性のある事業に人材を集中し、採算性の低い、あるいは将来性の薄い事業から撤退していく。
徹底的に無駄を省きスリム化し、人モノ金を強化部門に集中していく。
教科書通りだとこんなところでしょうか。

しかし、再建するのに最も重要なのは「人材の発掘」と「モチベート」だと私は思います。
数々の不採算リゾートの再生を実現している星野リゾートの社長もこの部分を重要視して成功している経営者のひとりです。
社員が変らねば会社は変わらない。
社員が変ると会社が変る。
企業は人なりとは良く言ったものです。

さて、話は戻り、あなたが再建を任された会社で人材発掘をします。
その時に先程の1.2.3.の選択肢のどの選択をする人を重要視しますか?
それが、恐らく最大公約数の回答でしょう。
辞めていく人にはチャンスを与え様がありませんが、じっと待っている人と、何かに奮起して前に進んでいる人との比較なら、答えは言うまでもありません。
まず、突き進もうとしている人を集めてから、それ以外の人を巻き込んでいく。
チャンスは大きいものや良いモノから売れていきます。
そして、後から参加する人はその売れ残りを掴んでいくわけです。
つまり、様子を見ながら待っていてもおいしいチャンスというのは降ってこないわけですね。

なんて考えるのですが、冒頭のライブドア。
以前はオンザエッヂという社名でした。
私が宝石業界からIT業界に転職したのが35歳の時。
今の仕事に就く直前、オンザエッヂの採用2次面接を受けていました。
当時の面接官の名前は忘れましたが「ずいぶんと若い部長さんだな」と思った覚えがあります。
私は最初に内定をもらった会社に入社するつもりでしたが、残念ながらオンザエッヂからは不採用の通知が送られてきたのでした。
(その次に面接を受けた会社に採用されました。)
もし、あの時、オンザエッヂに採用されていたら。。。

恐らく今と同様に、一所懸命、あの会社で働いていたことでしょう。
(よかったー。不採用で。ははは。)

人生において努力の占める割合は多いものの、偶然の重なりの上に成り立っているものでもあるのだなぁ、などと思う今日この頃です。

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あなたは和の人、洋の人?

最近なんだか腹の調子が悪い。
ま、昔から私を知っている人にとっては、「そんなもん、今に始まった事ではないだろっ!」と言う話ではありますが。

かれこれ15年程前にインドから帰国後、1週間の隔離病棟入院以来、10年程の間は「いいうんち」を見るコトが稀でした。
(「いいうんち」とはソーセージ状の形で、水に沈み、色合い程よく、ずっしりとした質感が優れたうんち。反対に「良くないうんち」とは水状のうんちや、固体であっても水に浮いてしまうようなスカスカのうんちの事を言うのだ。)

ここ数年くらい割と調子が良いと思っていたものの、最近また調子が悪い。
朝食事をするとそのままトイレへ。
昼御飯を食べるとそのままトイレへ。
良くないうんちなのはわかるのだが、しかし、何かが違う。

何だろう?
何が違うのだろう?と考え続けて、ふと気付いたのが「うんちを直接見ていない」という事実。
10年以上前の私の周りには和式トイレが多かったのですが、その後、洋式トイレばかりになっています。
これが大きな原因でうんちを直接見る機会が減ってしまった。

和式であれば底面積が広く深さが浅いので上にペーパーを捨てても色や形の確認ができるのですが、様式だと底面積が狭く深い。
そのため、ペーパーをのせてしまうと見えなくなってしまうのです。
それ以前の話として、水の中にすることになるので、よく見えない。

今日の奴は「いい奴」なのか「よくない奴」なのか?
「良くない奴」なら、どれ位の程度で良くないのだろうか?

以前なら「やべ、血が混じってる」とか「あー真っ黒だ、また胃潰瘍かな」とか「とうもろこしがそのまんま、もっとよく噛んで食べなきゃ」などと健康状態が見えたものですが、最近は全然わからない。
拭いた紙についたもので判断するだけなのだが、ウォシュレットだと、それすら見えない。(汚いなんて言わないでね。そもそも人間なんていうのは、ゲロとうんちのまわりにまとわりつく肉片に過ぎないのよ。。。)

でもねー、洋式に慣れてしまうと和式はつらいのねー。
足は痺れるし、お腹はきついし(単にお腹が出てるだけ)ゆっくりできない。
まー、洋式はお尻で蓋をしているので臭いが広がらないという利点もあるし。

で、あなたは洋式派?
それとも和式派?

「好きな仕事」って。。。

Sun, 1 May 2005 21:15:22 +0900

「好きな仕事をする」「好きなことを仕事にせよ」
世間では、こういった言葉をよく聞きます。
現実としてどれだけの人がこれを実現できるのでしょう?
そして、どうしたらそれが実現できるのでしょう?

昔から「好きなことを仕事にする」という考え方はあったにせよ、生活をしていかねばならないという現実とのギャップの中で、"あえなく"その夢を捨てて?
今、目の前にある仕事に立ち向かっていく、という人が多かったと思います。
それは今ほど豊かではなく、明日の生活を守らねばならなかったから、余計に。

今の時代は生きていくためだけなら、やりたくない事はやらなくても生きていけてしまう。(とっても不幸だと思います。だからチャンスを失うと思うので。)

私は「人生に回り道はない」と考えています。
今はそれなりに好きな仕事をしている、と言えると思いますが、学生を卒業してから、ずっと今までどうだったのか?と聞かれると必ずしもそうではなかった。
いつも、「俺は本当は何をやりたいのだろう?」などと自問自答して生きてきましたが、やりたいことなんて、漠然としたかたちでしか存在せず、その漠然としたものでは実際には、食べていくことなんて、できなかった。

自分自身、必ずしもやりたい事ではなかったかもしれないが、その都度、やってきた仕事に対してはプロとしての自覚を持ち、真剣に取り組んできたと思っています。(それをして、金銭(=給料)を受け取るなら、立派なプロですから。)

それらの経験は、回り道にも見えますが、人は回り道をすればする程、人としてのキャパシティーは大きくなるのではないかと思います。(=人間力だと思う。)
だから、どんな経験も決して無駄にはならない。(現実から逃げて、楽な方、楽な方に埋没するのでなく、一所懸命にやったという経験は、どんな分野のことであっても必ず無駄にはならないと思う。)

むしろ、結果として回り道をした経験があるからこそ、好きなことを仕事にすることができるのだと思うのです。

最初から好きなことでお金を稼げる、なんていうラッキーはこの世の中にはほとんどありえない。(そんな人は、実はラッキーなだけではないのだが。)

むしろ、自分には向いていないという仕事でもプロとしての成果を出すことによって自分の「総合的な仕事力」がアップしていき、その「総合的な仕事力」が一定水準を満たしたときに、様々な分野での道が拓けてくるのだと思うのです。

学生から初めての就職、そんな時点で「好きな仕事」にこだわっても、「総合的な仕事力」がほとんど身に付いていないのですから、たいした仕事など、任せてもらえるわけはありません。
そんなギャップの中で「好きな仕事」にこだわればこだわる程、自分の道が狭まっていく。
挙句の果てには「転職を繰り返す」という程度ならまだましですが、「フリーター」「ニート」にならざるを得ないところまで自分を追い込んでしまう。

「今の自分は本当にやりたいことをしていない」というギャップを感じながらも目の前の現実にきちんと向かい合い、プロとしての仕事をまっとうすることにより、誰しも自然と「やりたいこと」に近づいていけるのだと思います。

いずれ必ずチャンスは巡ってくる。
しかし、そのチャンスが巡ってきた時に、それをチャンスだと認識できる自分、そして、そのチャンスを掴むことができる自分を作っておかねばなりません。
そうしないと、自分の目の前にあるチャンスに気付かないかもしれない。

そんなふうに生きることができれば、誰しもが、もっと楽に生きられるようになると思います。

「好きな仕事」の話のつづき

Sun, 08 May 2005 20:41:02 +0900

先日の話には、いくつかご返信をいただいたので、続きを。

例えば「仕事の速い人」って、どんな人でしょう。
物理的に仕事の処理能力が速いのかというと、必ずしもそればかりではない。
この場合のポイントは仕事の処理能力だけでなく「仕事の優先順位が的確」ということの方が大きな問題なのです。

朝、今日やる仕事を一覧して、「すぐにやらねば」「午前中にやらねば」「今日中にやらねば」「急ぎではないが重要だ」の4つに分ける。
この分け方が的確で、かつ、処理能力が早い人が「仕事の速い人」になるわけです。(途中で飛び込んだ仕事も同様に考え分類する。)
だから、処理能力ばかりにこだわっても「仕事の速い人」という評価を得ることは難しい。

これと同じ話なんですよね。
仕事をいかに早く終わらせるかにこだわるのではなく、物事の本質を見る必要があるということが言いたいのです。

複数の方からもらった返信に「仕事で使うスキルをアップするために資格を取得することを考えている」というものがありました。
これも同じことなのです。(私も今、資格の勉強をしていますが。。。)
もちろん資格をとること自体は悪いことではない。
しかし、資格を取る事と仕事をする事は別のことであるというのを、認識せねばならない。

仕事ができる人が資格に受かるか?というと、それはそうではない。
確かに転職などには有利になるかもしれないけれど、本当にその業界で一流と言われている企業は、最低限の知識の保証程度のものとしか見ない。
実際に「華々しい職歴と数々の資格」を持った新入社員と接しても、履歴書は立派なのだが本当に同じ人物か?と疑うようなケースも、ままある。

だから、こないだのメールで言いたかったのは、「表面や入口ばかり見ずに、総合的な仕事力をつける」ことがやりたい事を任せてもらえる最短の方法ではないか?ということを言いたかったのです。(「表面や入口」とは資格であったり、履歴書に書けるような部分のこと。)

では「仕事が速い」ではなく「できる奴」とはどんな人でしょう?

本当に仕事ができる人というのは、仕事の処理能力ばかりではなく、他人の役に立つ人である事を認識している人でしょう。
芸術家のように自己完結する職業はその限りではないでしょうけども、その他のほとんどの職業では、感謝する人がいて、初めて仕事の成果となるのです。
それを、常に考えながら仕事をしている人が、他人からは「できる奴」という評価を受けられる人だと思います。
「一緒に仕事をして助かった」イコール「彼はできる奴だ」ではないでしょうか?

幸せはネコで測るのだ!

Sat, 01 Jan 2005 11:02:25 +0900

新年あけましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いいたします。

いやぁ、昨年は災害の多い年でした。
皆様の身近には被害を受けた方はいらっしゃいませんでしたか?

元旦の新聞を読んでいてもあまり明るい記事はありませんねー。
企業の業績が多少上向きである、くらいなもので。
少子高齢化の話もあれこれ書いてありました。

なにをいまさら、という話でもありますが、人口が減るというのは国にとってはかなり大きなダメージとなります。
貴重な働き手は減る上に福祉の対象は増える。
若手や企業の負担は増える一方。
海外でも通用する人材や企業はどんどん流出していきます。
(文部省が本気で英語教育の改革をしないのはそのせいかも。。。言葉の壁がなくなったら、皆、海外へ出て行っちゃうかもしれないからね。)

「産めや、増やせや」って、掛け声かけたって人口は増えやしない。
考えてみれば簡単な話で、この国で子供を産むというのは一大決心が必要。
一人の子供を産むのに家を一軒、35年ローンで購入するくらいの決意がないと、産むことはできない。

日本では過去に3回、人口減少があったそうな。
最初は縄文時代後半、次は平安時代、3度目は江戸時代中期から後期にかけて。
いずれも飢饉や疫病などによるものだが、江戸の人口減少のときは新田開発が人口増加に追いつかず、一人あたりの耕作面積が減り、人口減につながったという背景もあったらしい。
そんなときに一部の藩では、出生届を出すと一時金を出していたところもあったとか。(一時金目当てで子供を産むわけでもなかろうに。無いより、ましだが。)

お正月休みの昨日、今日。
子供たちとゲームなどをしてのんびりしています。
「人生ゲーム」だとか、「幸せの証ゲーム」など。
この「幸せの・・・」は人生ゲームによく似たルールだが、お金の多寡を競うのではなく、「幸せネコ」の数を競うもの。(幸せなことがあると招き猫がもらえる)
職業などで給与の額は決まり、その後の経済活動を大きく左右するのは「人生ゲーム」と一緒です。

5000万円で別荘を買い、2ネコもらう。
宝くじで1億円あたり、2ネコもらう。
ドロボーに入られ50万盗られる、2ネコ失う、とか。

でもね。

結婚すると10ネコもらえる。
子供が産まれると5ネコもらえる。
子供がぐれると5ネコ失う。
地震で家を失うと、5ネコ失う。

我が家では「無病息災、平和な正月を迎える。2ネコもらう。」という新年です。

イチローはこう考える。そうな。

Mon, 4 Oct 2004 00:07:29 +0900

「イチローの偉業を称える」とかって言う話ではなく、彼の考え方の話。

歴史に偉業を残す人は「エジソン」であっても「アインシュタイン」であっても、「王貞治」であっても「松下幸之助」であっても、、、何が違うのでしょう?

素質?
能力?
たとえば生まれつきの身体能力とか頭の回転とか?
やっぱ、天才?

そういう生まれつきの能力も少しはあるのかと思えば、本人達は口をそろえて「自分はいたって普通である。むしろ落ちこぼれである。」とまで言う。(落ちこぼれとまでは思っていなくても、フツーであると本人達は言う。)

「何が違うのか?」という問いかけには皆、「考え方だ」と。

「イチロー」は普通の状態であれば理論的に3割5分は打てると言う。

彼は「ピッチャーの投げるボールの7割はとらえることができる」というのだ。
しかし、頭の中で「こう打とう」と考えたイメージ通りに体を動かすことは容易なことではない。
脳から肉体へイメージを伝えるプロセスで、半分はミスが生じてしまうのだ。

打てるはずのボールをイメージ通りに打つことができない打席が、7割の半分、つまりイチローにとっての3割5分は「半分もミスをしてしまった」結果ということになる。

なんかこう考えると「打てるような気」がしてきませんか?
へ?無理だって。
そらそーです。

7割のボールがこうしたら打てるとイメージできるようになるまでの練習が必要ですから。
ただ、これほどまでの練習も、彼の考え方があって初めて実行できる。
そういった考え方がないと、それほどまでの練習は途中で嫌になってしまうかもしれない。

考え方次第で、「あなたもイチローになれる!」かな?
もう今の歳では無理?(んー、スポーツ選手は無理かもねー。)

んじゃ、「カーネル・サンダース」でも目指しますか?
(ケンタッキーおじさんはケンタッキーフライドチキンのアイデアを立案したのは60歳を過ぎてからでした。FC1号店の創業は65歳の時です。)

これなら、まだ、間に合う。かな?

1年は14ヶ月ある

Date: Thu, 02 Oct 2003 02:58:16 +0900

指折り数えてみると、今年も残すところ90日となってしまいましたがやり残したことはありませんか?

考え方によっては、まだ、90日もあるので間に合うかもしれませんね。

ところで、睡眠時間って平均でどれくらい取っています?

よく冗談で「寝ているときは死んでるのと一緒だから!」などと言うのですが、この寝ている時間の多少でずいぶんと持ち時間って変わりますよね。
神様は一人一人に平等に1日を24時間として与えてくれている訳ですが、1日8時間眠るのと4時間しか眠らないを比べると1年で2ヶ月間の差となります。

つまり、1日8時間眠る人の1年間を12ヶ月とすると、4時間しか眠らない人の1年間は14ヶ月もあるというわけです。
なんか儲かった気がしますね。

睡眠というのは取りすぎても余計眠くなる。
(学生の頃30時間くらい眠り続けたことがありますが、起きてもまだ眠かった。)
長時間眠ることに慣れてくると睡眠自体も浅くなるからでしょう。
短時間しか眠らない癖がつくと体の方も心得たもので短時間で深い睡眠に入る。
そのため(そりゃ、眠いわけですが)慣れるにしたがってだんだんつらさは緩和されてきます。

今年も残り90日。
今日から4時間ずつ睡眠時間を削ると90日で半月稼げます。
この半月でやり残したことのいくつかはできるかもしれませんね。
(実は時間をどれだけ得したかではなく、その時間を何に使ったか?の方が本当は大事なのですが。)

史上最悪の殺戮者は?

Date: Sun, 10 Nov 2002 22:34:28 +0900

古いテレビ番組を録画したビデオで「独裁者と大量虐殺」についての番組を見ました。
「アドルフ・ヒットラー」「スターリン」「ポル・ポト」などおなじみの名前ばかりです。

いずれも万の桁以上の人間を粛清という名の元に殺戮しています。
でも、どうなのでしょう?
民間人の大量虐殺では史上最悪の人物を忘れていないでしょうか?

アメリカ合衆国元大統領「トルーマン」です。
万の桁では言い表せないほどの民間人を殺戮した人間です。
終戦の年の広島と長崎で・・・。
しかし、こういった番組ではまったく報道されていません。

それって、偏っているんじゃないの??

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