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隣の魔女の殺戮系呪文

今日の話題は21世紀の現代でも使える強力な殺傷能力を持つ呪文について。

先日、インターネットで別の話を検索していてたまたま目にした話題です。
21世紀の現代社会でも実は魔術は有効で、魔女初心者の小悪魔系女子でも使える、超強力殺戮系呪文をご紹介。

この呪文を投げかけられると、シチュエーションに縛りはあるものの本当に人ひとりが社会的に抹殺されます。
相手が武道の達人でも、現役バリバリの海保隊員でも、何の武器も持たず素手で相手の息の根を止めることができる呪文です。
しかも、呪文としては低難度で、それほど修業を積まなくても多くの人が使えるもののため、非常に恐ろしいものでもあります。

二人組で使用するらしく、3つの呪文で構成されています。
最初の呪文を2つ目の呪文が強化し、最後の呪文で相手のとどめを刺すらしい。
早速、どんなものだか見てみましょう。

場所は混雑した場所ならどこでもよい。朝晩の通勤電車が最適でしょう。
最初の呪文は「コノヒトチカンデス!」というもの。
そして、二つ目の呪文は「ワタシミテマシタ!」というもの。
ターゲットの男を挟み、二人がこれをできるだけ連続して唱える。
両脇から連続されると屈強な男でも、完全に逃げ場がなくなりますね。

駅に停車したら、そのままターゲットを駅に降ろしてしまう。
これによって実際には触っていなかったことを見ていた証人達とサヨナラすることができます。

駅員か鉄道警察隊が来たところでとどめの呪文「パンツノナカニテヲイレラレマシタ」を唱える。
これは最初の2つの呪文ほど大きな声でなくても効くらしいです。
むしろ、下を向いて小さな声で唱えた方が効果的な場合も多いらしい。

この最後の呪文で「迷惑防止条例」から「強制猥褻」へ罪を格上げさせることができるとのこと。
迷惑行為防止条例は6ヶ月以下の懲役又は50万円以下の罰金であり、略式起訴で罰金を支払って終わりというケースが多い。
しかし、強制猥褻は6月以上10年以下の懲役で罰金刑がなく、被害者が告訴すれば、ほぼ間違いなく起訴されるらしい。

罰金刑なら会社にばれずに済む可能性もあるが、懲役刑となると執行猶予がついたとしても、社会的制裁は免れない。
普通の会社なら、有罪確定と同時に、懲戒免職となるでしょう。
(同じ有罪でも業務上過失致傷とかと違って、強制猥褻は無理だろー。)

親告罪である強制猥褻は、親告があるとほぼ間違いなく起訴されるというのが恐ろしい。
片や孤立無援の男に対して、でっちあげにしても証人がいる魔女側が圧倒的に有利であることは言うまでもない。
物的証拠といってもパンツには指紋は残らないだろうから、証言が重要視されることでしょう。

現代の魔女による恐ろしい呪文でした!悪用厳禁です!

つぶやいてますか?

遅ればせながら、私も最近、つぶやき始めました。
いわゆるツイッター(Twitter)ってゆー奴ですねー。
http://twitter.com/kimurahajime

毎日、鳩山首相のつぶやきを聞いています。
ホリエモンは、ほぼ毎日、一日中つぶやき続けています。
糸井重里はプップカプップカおならばかりしている。
蓮舫ちゃんは20日から始まる事業仕分けの準備をしている。

Twitter、なんだか、まだ、よく使い方がわかりません。
というか、人によっていろんな使い方があるみたい。
単に著名人の独り言を眺めていたり、ひたすら持論を演説したり。
閉じた仲間同士だけで盛り上がったり。楽しみ方もいろいろ。
企業によってはマーケティングに使ったりしているところもある。

そんな中、こんな記事を読みました。。。
http://www.j-cast.com/2010/05/06065900.html
福岡のこの高校では「mixiやtwitterの禁止」をしているとか。
こんなことをしているから、駄目だって言われちゃう。
禁止の理由はSNSでのトラブルがあったから、だそうな。
バカじゃなかろうか。
人が集まりゃ、トラブルは起きる。必ず。

そういう高校が存在する限り、この国は情報後進国であり続けるんだろうねー。

自動車がこの世に出現してしばらく経ったある日、交通事故が発生した。
自転車だったら、そんなにひどいことにならなかったのに、自動車だと大ケガになったり、死んでしまったりすることがわかった。
だから、自動車は禁止します、っていう話と同じかな?

ハサミという便利な道具が発明されたけど、指を切り落とした事故が発生したから、禁止します。

ストーブに触って火傷をした人がいたので全教室のストーブを金網で囲いました。

こうやって育つとアホな大人ができてしまうのではないだろうか?

どんな世界にも、いじめっ子はいるし、悪人はいる。
危ないモノも、そこかしこにあるのが、自然環境だ。

いい加減に、世界中からいじめっ子をなくすとか、世界中の悪人を刑務所送りにすることを断念したらどうだろうか?
全ての崖に柵を施し、立ち入り禁止の立て札を立てるのは止めよう。

どの職場にもいるんです。
いじめっ子は。
(金魚鉢の中にだって、いじめっ子はいる。)

職場にはそんなに極悪の人はいないかもしれませんが、街に出ればいるんです。極悪人が。
満員電車には、いるんです。きしょい人が。

そーゆーのから、完全隔離して育つのがよいのだろうか?
前から、極悪な顔をした人が、道に唾を吐きながら歩いて来たら、自分の進む道を変えるのか?
電車に騒いでいる酔っ払いがいたら、隣の車両に移るのか?
違うでしょ?っていう話。

「mixi禁止」とか「Twitter禁止」というのは同じ発想。
「Webアクセスフィルタ」も同じ発想。
道具が悪いのではなく、その先にいる人が悪いのだ。
そして、大人になるまでの間に、そうした悪い人達をうまくかわす方法や、うまくあしらうコミュニケーション技術を身につけないと一人前の社会人にはなれない。

このニュースを読んで悲しくなったのが、これが高校の話だということ。
小学校ならいーと思う。禁止しても。中学だと微妙かな。
なんで?って、高校生はきちんと使い方を理解できるし善悪の分別がついている年齢だから。
逆に避けて通っちゃ駄目なんじゃん?って思う。

ブログや掲示板に個人情報を書き込むな、とか、こういうサイトはフィッシングだから注意せよ、とか言っても、小学生だと、全員は理解できないだろう。
だけど、高校生なら、ちゃんと説明すれば理解はできる。

毎日、鳩山さんが独白するTwitterを読む事は、社会の教科書を3回音読するよりも良い勉強になるのではないだろうか?
「本日、徳之島入りをします。今日という日は・・・」などという鬼気迫る雰囲気のつぶやきを読んだら、新聞を読まない、ニュースを見ない高校生も、徳之島に何しに行くんだろう?って、思うだろう。
(実際の鳩山さんのつぶやきは超つまらないのだが。。。)

著名な人のつぶやきを読むというのも、それはそれで面白いが、自分が発信する、ということの難しさと楽しさもわかると思う。

こうやって僕もメルマガを書いて10年以上になるが、発信するというのは、辛くもあり、楽しくもある。
それが、気軽に体験できるのが、Twitterだろう。

僕の場合、こーゆーメールは1通書くのに数日間かかる。
まず、題材を探す。
新聞を読んだり、ネットのニュースを読んだり。
本屋に行ったり、誰かと議論したり。

題材が決まったらネットで検索して、周辺情報を固める。
そして書き始める。
自分宛てにメールを書いては直し、書いては直しを何度か繰り返して、完成する。

次から次へとネタを探し続けるのはしんどい。
そんなメールに誰かからリアクションがあると嬉しい。

そんなシチメンドクサイ過程を負わなくてもツイッターはつぶやけばいい。
返信を求めないし、返信されても別に返さなくてもよい。
ひたすら、しゃべり続けてもよいし、一切書き込まなくても良い。
なので、気が楽。吟味しないで書き込める。

著名なあの人と、ブログ以上に気軽に簡単につながれる。
でも、その分だけ、つまらない発言も多い。
その人のファンであれば楽しめるのかもしれないが、「あーねむい。
だって昨日寝たの3時だもん。」とかって、書かれてもね。。。

気に入らないならフォローからはずせば良い。
それも自由だし簡単。

だらだら見ているだけで、フィーリングと言うか、話題の合う人が見つかる。
今までとは違った出会いなのかな。
出会いなんてそんな大げさなものではなく、気軽にちょっと会話を交わすだけ。

こないだホリエモンに「部屋の掃除をどうしているのか?」と聞いている人がいた。
したら、週2回、ダスキンさんに頼むのだそうだ。
その後、その人はダスキンのサービス内容とか金額とかを聞いていた。
ホリエモンはマメに答えていたけど最後は「詳しくはググってみてね。」
で、終わらせていた。

Twitter。
使いこなせたら面白そうだ。

海に囲まれつつ日本が海洋国家にならなかった訳

僕は海が好きです。
舟も好きだし、潜るのも好き。
なんとなく、海を眺めているだけでも心が平穏になる。

ずっと以前からなんとなく考えていたことなのですが、日本は海に囲まれているのに海洋国家にはならなかったのは何故だろうか?という素朴な疑問がありました。
このところ、ヨット乗りの方の書いた本や、海難事故から生還された方々の書いた本を数冊読んでいる中で、なんとなくその理由がわかったような気がします。

ここでいう海洋国家というのは昭和の時代に造船大国と呼ばれていたのとは別の話です。
この国にとって黒船が日本に来るまで、太平洋の先は地の果てだった。

そもそもこの国の造船の考え方は外洋に出ることを想定して作り始めたのは近現代からで、それまでは入江の中や沿岸での戦いを有利に進める為のもの、程度の話であった。(毛利水軍やもっと古くは雑賀の舟鉄砲などかな?)
遣唐使として日本海を渡ったとか、倭寇として朝鮮半島まで行ったとかが、せいぜいで、その先の新天地を目指すという発想自体はあまりなかった。

なんで?

中世ヨーロッパでは大きな帆船を造り、外洋を目指した。
ジパングなんていう言葉がまだ伝わっていない頃から、アフリカ沿岸各所に拠点を作り、少しずつ遠くの海を目指して冒険していた。
いわゆる、大航海時代だ。
見知らぬ土地の特産物を持ち帰ると巨万の富が得られたらしい。

当時の日本人も、同じように中国沿岸に拠点を作りつつ、ベトナムなどの東南アジアに足を延ばすことは考えなかったのだろうか?
マレーシアをまわってインドに辿り着いていたら、日本の歴史は変わっていただろう。

日本人は冒険心がなかった?
日本人は技術力が足りなかった?
日本人は海が嫌いだった?
んーー。どれも違うような気がする。

なるほど、と思ったのは、あるヨットマンの言葉。
「地中海は池であり、大西洋は川である。そして太平洋が海だ。」というものであり、その感覚がヨーロッパの人々の感覚でもあるようだ。

池であれば、初心者もヨットの練習はしやすい。
そこは池のようにおだやかな地中海。
操船技術を覚えながら、ぽかぽか陽気の地中海の島々を巡ることができる。
想像するだけで、楽しそうだ。

ある程度、操船技術が上達したら、大西洋に挑戦する。
大西洋はアフリカ大陸とアメリカ大陸の隙間にある細長い海である。
太古、地球には一つの大陸しかなかった頃、大陸に大きな裂け目ができた。
それが今の大西洋である。

大西洋でヨットが転覆沈没し、救命ボートで漂流し、生還したスティーブンキャラハン氏の漂流記が翻訳されている。
その本によると、キャラハン氏は、相当なサバイバル知識と強靭な精神力を持っていたとはいえ、漂流中に10回近く船を見かけ75日後には陸地が見えるところまで流れ着いている。
そして、その翌日、漂流76日目に漁船に救助された。

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一方、太平洋での遭難は孤独なものが多く、かつ、生存者も少ない。
外洋ヨットレースに参加して、天候の悪化が原因で転覆、沈没した「たか号」から生還した佐野さんの記録は壮絶だ。
転覆した時点で緊急避難用のゴムボートに乗り込んだのは6名。
27日後、生還したのは、佐野さんただ一人。
生死を分けたのは必ずしも地形だけではないが、大西洋の遭難とは難易度が違うことは明らかだ。

たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い (新潮文庫)

新島から流されたダイバーは銚子沖東南東63kmの地点で奇跡的にマグロ漁船に発見され救出された。
彼は230kmを3日間漂流していたのだが、この地点を通過してしまったら、恐らく船も通らない沖合いに潮と共に流され、発見されなかっただろうと言われている。(彼へのインタビュー記録では精神の均衡を保ちながら漂流を続けることの困難さが良くわかる。話が脱線。)

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キャラハン氏の例でも明らかなように、大西洋では流されていても、陸地や航路に辿り着く可能性は太平洋に比べたら圧倒的に高いのだ。
ヨーロッパからアフリカ各地へは、大航海時代からの航路があり、新大陸であるアメリカ大陸へもヨーロッパからは各種の船便が出ている。
中南米やカリブ海への航路もあれば、喜望峰を回る航路もある。

それに引き替え、太平洋での航路は少ないため、漂流者が航路にさしかかる可能性も圧倒的に低い。
また、太平洋は、ただ流され続けて数週間以内に陸地に辿り着く可能性は、ほぼ皆無に近い。

地形の問題だけでなく、天候も大きく違う。
地中海の夏は10日中、10日は晴れて穏やかな天気らしい。(いぃなー。)
それに引き替え、日本周辺では海況が良いのは3日に1日とか、5日に1日とかと言われている。
平均気温や水温が最も高い夏から秋にかけても、台風が多数発生し、海況は決して良いとは言えない。

言ってみれば、太平洋は上級者にだけクルーズが許される、難易度の高い海なのだ。
そんな海で最初から練習せざるを得ないとなると、命を落とす確率がはるかに増す。言ってみれば、練習が練習にならない。いきなり本番だ。
沿岸や入江だけでは、外洋航海の経験値はなかなか増えないのだからつらい。
しかし、いざ、外洋に出ると過酷な太平洋が待っている。

スキーの初心者をいきなり上級者コースで来る日も来る日も練習させるのと同じだろう。
泳げない人を、急流の川に放り込むのと同じようなものかもしれない。
そら、へこむし、つらいわな。

っつーことで、日本は海洋国家にはなり得なかったのではないか?と思うのでした。
でも、やっぱ僕は外洋クルーザーで南の島に行くのは夢だったりしますねー。

週3日しか働かないということ

連休初日が急なアクシデントによって予定が中止になったこともあり連休が暇になってしまった。
なもんで、ぽけらーっと、休日についてあれこれ考えました。

さて、「ワークシェアリング」という言葉はご存じかと思います。
これって実現できたら、、、などという声が多い割には、一向に話は前に進まないですねー。
実際問題、例えばの話、自分の会社が明日から勤務時間を半分にして、その分、従業員を2倍に増やすなんて言う事ができるのか?という話。

そりゃ、無理っしょ。
採用にかける費用は誰が負担するの?
誰が採用した人を教育するの?
勤務時間が半分になった人達の給料は本当に半分でいいの?
いろんな問題が山積み。

でもね、最初の一歩として打つべき手は、週休3日制を導入することなのかなー?と思います。
まずは政府が週休3日制を宣言して、例えば、2010年には週休4日制にする!と宣言する。

すると、どうなるか?

3日目の休日は、月曜を休みにするのか水曜日を休みにするのか?等、意見は分かれるところかもしれないけど、そんなのはどーでもよい。
休みにすることで、個人の労働時間の全体量は減る。
かつて、この国が週休2日制を導入した時のように。

でも、会社の中には、減らせない業務が山ほどある。
週休2日になった時、そういう業務はどうやって回してきたかというと、1人でやっていたのを1.2人とか1.4人とかで回してきたわけだ。

これが一番現実的で、手っ取り早いワークシェアリング。

学校などはどうなる?どうする?
会社は週休3日とか4日にするが、学校は週休2日のままか、むしろ週休1日に戻す。
仕事と学業は別なのだー。わはは。(子供の敵。)

ただし、学校の先生は今まで一人が週に5日間を担当していた訳だが、それが4日とか3日しか担当しなくなる。
すると、教師が足りなくなる。

ならば、雇えばよい。

3日と2日、2交代制の担任。
月~水までの担任と、木金の担任。
生徒は、よりたくさんの大人と接する機会ができるし、教師の負担も減る。
ワークシェアリングって、こーゆーのでしょ?

ところでこの国が週休1日制から2日制に移行した時、企業は効率化と経済の成長を元に、その1日分を吸収した。
よって、大きな賃金削減は行われなかった。

しかし、時代が違う。
週休3日、4日制を実施するとなると、当然、収入減につながる。
これは致し方ない。

総収入の30%カットなどが各企業で実施される。
しかし、同様に勤務時間も30%オフされることにより、双方の選択肢は増えることとなるだろう。

時短を強制する代わりに企業は従業員に対して、兼業の自由を認める。
(休みの日は好きに稼いでくださーい。)
空いた2日間とか3日間を使って、例えばさっきの例でいうところの教師という職業を選択しても良い。
大学で教職課程を修習して、教員免許を持っていながら、まったく別の業務についている人って多いだろう。

空いた2日間とか3日間を使って、農業法人に勤めても良い。
郊外の農地で畑を耕すサラリーマン。
1人月の給与は支払えないが、半人月の給与なら支払えるという零細規模の農家でも、労働需要が掘り起こされるかもしれない。
また逆に、フルタイムで農業をやりたいとは思わないが、週に2日間だけなら、そんな仕事も良いな、と思う若者もいるかもしれない。

同様に空いた2日間とか3日間を使って、漁業をやってみる?
フルタイムだと不漁続きだと喰えなくなる恐れがあって踏み切れないが、生活の最低保障部分は他の3日間で働いて、残った時間をタイムシェアリングすることで漁業を務める、とか。
人生を豊かにするために、第二の職業を選ぶこともできる。

もちろん、そんな片手間で一人前にはなれねーよ、という声もあるだろう。
でも、後継者がいない漁業を続けるのと、週の半分以下の時間でも、若い人が集まる漁業はどちらが良いのだろう?

転職してスキルチェンジしたいと思っている人は、まずは空き時間からスタートしてみればよい。
完全に転職する前に、その業界を内側から見ることができる。

空いた時間をお金に換えるのではなく、自分で消費しても良い。
働き過ぎと言われている日本人は、もっとたくさんの時間を趣味に費やしても良いのかもしれない。
(その場合は今の7割の収入で生活せねばならんけどね。)

生活をダウンサイジングして、高級ホテルではなく、キャンプの旅を楽しめばお金をかけずに贅沢な時間が使えるかもしれない。
仕事の合間に年に一回取れた5日間の休みでヨーロッパを駆け足で回るのと、1ヶ月間まとめて休んで日本一周オートキャンプの旅に出る、なんていうこともできるだろう。(金はなくとも時間がある)

夜景を眺めながらの高級ディナーの回数を減らしてダッチオーブンで作った焼きたてのパンを食べてみたらどうだろうか?
(金はなくても、手間かける。)

父親の生涯のうち、子供と一緒に過ごしてあげるべき年月は短い。
子供が父親を認識するのが、物心ついた1~2歳の頃からだろうか?
コミュニケーションが取れるようになるのは3歳頃からかな?
その後、子供の歳が思春期を過ぎると、双方に子離れ親離れが必要になる。
コミュニケーションが取れ始めて、子供が親離れするまでの期間は、わずか10年余りしかないことになる。

その10年間は今よりもっと家族に時間を割いても良いのかもしれない。
実際には働き盛りの頃と年齢が重複するので、その年代のフルタイム労働者としては、充分に時間を割くことは難しいかもしれない。

でも、週休4日制が施行されたなら、子供が小学生の頃の6年間程度は子供と過ごす時間を増やしてもよいと思う人が増えるかもしれない。
小学生の頃であれば、勉強も教えられるだろう。
(中学、高校は無理ですが。。。(笑))
子供も喜んで一緒に遊んでくれる。
(中学高校と進むと徐々に遊んでくれなくなるだろう。段々と小遣いが欲しい時しか、話しかけてこなくなるかもしれない。。。(笑))

さて、現実的に収入が7割になって暮らせるのだろうか?
というか、実際に全家庭の所得が7割になるのだろうか?

今現在も、所得格差は広がっている。
週休3日制、4日制の実施は、高賃金層には所得の圧縮を、低賃金層にはあまり影響を及ぼさないものだと思われる。
むしろ、低賃金層には職業機会を増やす政策になると考えている。

そう考えると、高賃金高消費家庭にとっては厳しい政策かもしれない。
低賃金低消費家庭にとっては、職業機会が増えるだけ得になるだろう。
高賃金ではない、言い方を変えると、労働者ではないいわゆる本当のお金持ち家庭にとっては、これまで同様、投資活動による収益機会は変わらないだろう。
生き方が多様化し、労働流動性も高まる分、ビジネスチャンスも増えるかもしれない。

しかし、一人当たりの労働時間が減る分だけ多くの従業員を雇わねばならないので、雇用人数が増える分だけ固定的なコストが増える。
逆に、雇用人数が増す分だけ、一人の人間に負うリスクは減るので、一概に悪いとはいえないかもしれない。

ということで「ワークシェアリングを実現するんだー」等と大上段で構えるのではなく、週休4日制を導入すれば、結果的にワークシェアリングは実現できると思うのでした。
(連休中にポケラーっと考えたこと、でした。机上の空論かな?)

生き残る為にいじめる

Date: Fri, 15 Dec 2006 00:31:20 +0900

最近、盛んにテレビなどでは「いじめ問題」なるものを取り上げています。
誰かをいじめたこと、あるいは、誰かにいじめられたことって、あります?

私はどちらもあります。(どちらも無いという人は稀ではないかと思うが)小学校3年生の頃に、東京の杉並区から埼玉の大井町(現ふじみの市)に引っ越してきたのですが、転校生なんて格好のいじめのターゲットです。
おまけに私は極端に歯並びが悪かった(出っ歯だった)のでなおさら。
毎日学校に行くのが嫌だったのを覚えています。(いまだにあだ名はビーバーです。)

いつの頃からか、いじめられないようになり、逆に皆と一緒になって他の子をいじめるようなこともありました。
ま、特定の誰か、というよりも、あの子いじめて明日はこっちの子、というような按配ですが。

そもそも論として、文部科学省や教育委員会が言うように、「いじめ」って、無くすことが可能なのでしょうか?

さかな君がこないだテレビで言っていましたが(さかな君って、TVチャンピオンの魚通選手権3連覇の人です)魚の世界でもいじめは存在するとか。
グレ(メジナ)かなんかを水槽に入れておくと、いじめられる奴が出てくる。
いじめられているグレを他の水槽に移してしばらくすると、その水槽でも、いじめが発生するらしい。(2:8の原理の話に似ていますが。)
結局、いじめられっ子の集団の中でも「いじめ」は発生するらしい。

思うに、いじめって、生き物の本能なのかな?と。
本来、強い者が生き残り、弱い者が淘汰されていくというのが生き物の世界のルールであり、だからこそ、強い者が生き残り、種が保存されていく。
種の間でも同じことがあって、弱い種が淘汰されていく。

そう考えると、いじめってなくならないのでは?と、思うのです。
(人間だけ、特別な生き物であれば別ですが。。。)

問題なのは「いじめが存在する」ことではなく、「いじめかた」の問題だと私は思うのです。
昔は学年を超えて遊ぶ子供も多く、その中にはジャイアンのような子もいて、スネオみたいな子もいた。
もちろん、のび太のような子もいて、そんな子はいじめられていた。(でも、現実世界にはドラえもんはいないし、浦見魔太郎のような魔術?も使えないのだった。エコエコアザラク。。。)

ドラえもんはいなくても、誰かがかばうこともあったし、陰湿ないじめ方は皆から嫌がられた。
それが今では、よってたかって陰湿な方法でいじめたりする。

私は中学、高校とぐれていた?のですが、高校を卒業して何年かして母校に遊びに行った時の会話を思い出します。
その時に当時の担任が言っていたのは「お前らの頃は良かったよ。悪そうな奴があからさまに悪いことをしていた。今では普通に見える秀才が影で何をしているかわからない。」と。

「いじめを根絶」なんて、しようとするから、水面下に潜ってしまうのです。
ばれないように、より、陰湿になっていくわけで。(「暴力反対」なんてやるから、子供同士殴り合いの喧嘩なんてなくなった。でも、その代わりに人を殴った経験がないから死ぬまで殴ってしまう大人が増えた。それとはちょっと違う話か。。。)

もっと、明るくいじめましょうよ。
「やーい、お前なんか嫌いだー、あっかんべー」でいいと思うのです。
「そんなこと言っちゃいけない」なんて言うから見えない所でやり始める。
見えない所でやるから、陰湿にもなるし、いじめられている方もたまらない。
だって、人知れずいじめられているのですから逃げ場もない。

「いじめはなくならない」という立場に立って考えないと本質は解決しないと思うのです。

日本の地価はもう上がらない

Date: Mon, 17 Oct 2005 07:53:51 +0900

最近、街を歩いていると「テナント募集」とか「空部屋あります」の看板をよく見るような気がします。

調べて見ると2005年現在、660万戸の住宅が空家になっているそうな。
全国の世帯数から計算すると、なんと9軒に1軒が空家なのです。(不景気だから?いやいや、そんな簡単な話では、なさそうです。)

それなのに、新聞などでも報道されているとおり(というか、新聞の広告をみると、そんな状況は一目瞭然)新築マンションラッシュですね。
片や大量に在庫が余り、片や新築物件を大量に着工し供給している。

バブル後の「失われた10年」と言われている時期に企業や工場の倒産などで土地の持ち主が変わってきている。
なかでも工場の閉鎖や海外への移転などの動きでまとまった土地が売りに出される機会が増えている。
こういった土地が以前の1/3とか、場所によっては1/10といった値段で売りに出されることによって、マンションなどの大規模開発がしやすい環境が整ってきているのだ。

首都圏で言えば新築マンションの着工件数は、過去5年間ずっとバブル期の倍以上を推移している。(戸建て住宅も倍以上の数字なのだ。)
こりゃ、凄い供給量だ。(ま、開発業者も走りつづけないとならない経営構造があるのだが。)

その背景にあるのは、異常な低金利が続いていることが一つの原因だろう。
住宅等の多額の借り入れを伴うことが多い市場は低金利だと活性化される。

2000万円を25年返済で借りると、金利が2.5%なら月々89.720_だが、5.0%だと116.920_になる。
頭金なしでも9万円なら家賃より安いですよ、などというキャチフレーズが生まれるわけだ。
(以前のように7.5%程度の借り入れ金利で計算すると、147.800_の支払いになるのだから低金利時代は割安感がある。実際には金利以外にも、修繕費や固定資産税も加算せねば賃貸との比較にはならないし、2.5%の25年固定金利ではないだろうから、そうはいかないのだが。ま、そんな話は今回の話題とは別なので、いずれの機会に。。。)

それに加えて「以前の1/3の金額です」などと言われると、めちゃ安!って感じもする。(しかし以前のって、バブルの異常な高値と比べても何の意味もないのだが。)
だから、バブルの頃の倍ほどの供給量が、なんとか支えられているわけだ。

統計によると、2006年には日本の人口はピークを迎え、減少に転じる。
人口減では、当然、長期的に住宅需要は減るわけだが、その上、少子高齢化の社会では、住宅需要と共にオフィス需要も減っていく。
オフィスや工場などの需要もますます賃金や物価の安い海外へ移転していく。
インターネットの普及などでは企業活動も効率化が図られ、これまでのように大勢の人間がひとつの場所で仕事をする必要もなくなっていく。
挙句の果てに、あと数年すると団塊の世代は定年を迎えるし。
これによって、大幅に就業人口の低下が進んでいくわけだ。

これらを考えると「不動産デフレ」は、かなり長い期間に渡って続くということが、容易に考えられる。(人口減による長期的需要の低下&ここ数年の大量供給)
つまり、この国の地価が再び上がることはない!(んー場所にもよるかな。でも一部の超便利な土地以外は上がらない。)

家賃相場などのキャッシュフローを考えた金額が適正だとすると、一部の中古不動産市場を除いて適正価格と言えるものは少ない。(利回り計算をしてマイナスになるような金額が適正とは思えない)
それを考えると、今なお、割高な値段でとどまっている新築マンションは金利が反転したら暴落するだろう。(単純利回りでも赤字がほとんど)
異常な低金利で買い支えられている今でさえ、需要に陰りが見えてきているのだから、なおさらだ。

こんな状況でじゃんじゃんマンションやらビル建ててしまって、この国は本当に大丈夫なのだろうか?
今でさえ、9軒に1軒が空家だと言うのに、この調子で開発を続けていき、しかし不動産需要はドンドン減っていき、異常な低金利が終わった時、、、その時は、空恐ろしい状況が目に浮かぶのだ。。。

なにやってんの?日本のプロ野球。

Date: Sat, 23 Oct 2004 01:44:23 +0900

なんだか日本のプロ野球界が揺れているようですね。
相次ぐオーナーの辞任。
その原因は獲得したい選手に対する金銭授受がきっかけとか。

でも、現金渡して、何で駄目なの?
だって、プロじゃないの?

プロはお金をもらってプレーするからプロなわけで。
プロになりたい選手に金を渡して何が悪い?

そのお金を受け取った選手が税務申告しなければ、それは悪いことですけど。
ちゃんと受け取ったことを申告して、税金を払えば日本の法律では全く問題ない。

それなのに、なんで、なんで、どうして悪いの?

高校生に多額の金を渡すと教育上、悪いの?
じゃー、若くして金を稼いでいる奴、たとえば芸能人なんかは、みんな人の道をはずしているの?

自分の実力で金を稼いでいるんだから何も問題はないはず。
教育上悪いとか、グレるとか、そんな暇なんてないって。
プロの世界はそんなに甘くない。
どうしても駄目、というなら、金は親に渡せばよいし。

それとも、金のない球団が選手獲得できなくなるから?
そんなものは共産主義者か、仲良しクラブの変な理屈。

金がないなら、そんな球団は淘汰されるべきです。
(金がないなら退場しなさい。)

金があってやる気のある会社はいくらでもある。
ソフトバンクしかり、ライブドアしかり、楽天しかり。

仲間内の仲良しクラブで球団全体を維持していこうとするから、そんな、わけわかんないルールを作ることになる。
そのへんにある、ごく普通の会社のように、自由に売却もでき、自由に市場参入もできる、欲しい社員(選手)には好きなだけの金を払う、そんなプロ野球界に早くならないと日本の野球はどんどん衰退していくと、思う。

日本人の構造改革

Wed, 22 Oct 2003 03:07:03

今朝、出勤途中に民主党のマニュフェストをもらいました。
マニュフェスト、もう読みましたか?

道路公団改革、郵政公社の民営化、年金改革、地方財政の自立、教育制度改革。
少しずつ日本社会のひずみを解消しようという動きが出てきています。
ところで、日本社会のいびつな仕組みというのはいつ頃できたのでしょうか?

私は徳川幕府の300年間が今の日本人の根っこを作ったのではないかと思っています。(それとアメリカの占領統治とその教育制度ね。)
江戸幕府は士農工商という制度をこの国に作り、あらゆる観点からこの制度をうまく運営するための組織を作った。

戦国時代までの日本人は明るかった。
割と南国気質も強くあっけらかんとしていた。(と伝えられている。)
それが徳川300年を境に国民の大多数は考えることをやめ、日々に埋没していく。
決められた士農工商という名のカーストの中で決められた場所で決められた仕事をして生きていく。

徳川幕府の根本的構想のひとつに「幕府の許可無き事は禁止」というのがあった。
(と私は思う。)
この国ではあらゆることは原則禁止なのだ。
街道を旅するには関所札が必要だし(それも武士と商人のみ)階級によって髪形まで決められていた。

だからだかどうだか、今でも日本の法律の考え方は世界に類を見ないものが多い。
何ヶ月か前に日本の民法の考えがおかしいという話をここに書いたが、道路交通法然り。
道路は走ってはいけないもの?から考えがスタートして許可を取った者は自動車などで走ってもよい。ただし制限速度の表示のとおりに。表示がなければ無制限?
もちろん違います。車種によってあらかじめ制限速度が決められており表示がなければ車種ごとの上限を守り通行する。

車検制度?車の整備くらい国家権力にあれこれ言われなくても自分の身は自分で守るべきでしょ?
許認可制度?弁当屋ひとつ開くのにどれだけの許可が要るでしょう?
診療所を一つ開くなんていったら分厚い本一冊分の許可申請が必要になる。

もっとわかりやすいところでいえば看板ひとつとってもそう。
華厳の滝などの景勝地でよく見かける「立ち入り禁止」の看板。
あれが「私有地のため立ち入り禁止」なのならわかるのだが、「そっから先に行くと危ないよ」という意味で書かれていたりする。
アメリカあたりだと「ここから先は自分の責任で・・・」と書かれていたりするのを見たことがあるしカンボジアならただ単に「地雷原」と書いてあったりするが。

人は生まれながらにして自由であるはず。
少なくとも民権国家に暮らす人はそうであるはず。

しかし、この国の国民はいつの頃からか、自らの行動を他人に指示してもらうことに慣れてしまった。
何かをはじめようとするとき、「それって、やっていいの?」なんて考えるのはもう辞めにしましょう。

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