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秋の夜長をどう過ごす?

「もしドラ」読みましたー。
書店で手に取った時に中年のおじさんとしてはちょっと躊躇する表紙ですが勇気を奮い立たせて購入しました。(萌え系イラストの表紙なのだ。)

ちなみに「もしドラ」は「もし配牌がドラ3だったら?」の略ではありませんよ。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という、とっても長い題名で、略して「もしドラ」です。

文章は平易で、トータル数時間位で読み終わってしまいました。
通勤電車、往復3回分で読み終わるって、言ってもわからんかな?
(ちなみに通勤時間は、片道1時間20分、乗換え1回です。)

amazonの書評をみると、評価は両極端ですねー。
小説としての完成度としてみたら、評価は低い。僕の評価も高くはない。
展開はトントン拍子すぎるし、文章表現もそれ程上手いとは思わない。
と書きつつ、読み終わるまでに2度ほど、目がうるっと、してしまったのだが。

しかし、ピーターFドラッカーの入門本として評価するなら、高評価の付く書籍だと思います。(「もしドラ」のドラはドラッカーのドラです。)
僕は後者だと思って読みましたので、高評価ですー。

この「もしドラ」の元となったドラッカーの原典は「マネジメント」という本で遥か30年以上前に書かれたものです。(実際はそれの概要まとめ本。)
実は私も20年前に読みました。

当時私は大学の商学部に籍を置き、経営コンサルティング会社への就職を目指して就職活動をしていた。
なので、ボストンコンサルティングとかマッキンゼーなんていう単語に微妙に反応しつつ、大前研一とか船井幸雄とかの本を読み漁っていた。
そんな中、逆光のはげ親父が表紙に印刷された彼の本はインパクトがあったと思います。(逆光のはげ親父の表紙は、同著者の別の本かも。。。)

「マネジメント」の内容については、正直、あまり覚えていません。
恐らく余りに自分のレベルが低く、ただ読んだというか、活字を追いかけただけで、理解できてはいなかったのでしょう。

ドラッカー本って、さらっと読んでも、頭には入ってこないのですよ。
言い回しというか、使う単語がむずかしいのね。
平たく言うと、漢字が多い。

一文一文を噛みしめて読むという、ご飯を一口あたり50回ずつ噛みしめる様な作業を続けないと、完全理解はできない。
だからこそ、日本を代表する様な経営者達が何度も読み返す本として、この本を挙げる人が多いのかもしれない。

飯島延浩は従業員の心が離れ、離職が相次ぎ、その上、過去最大の設備投資を行って建設した工場が全焼した。そんな中から再起できたのもドラッカーの考え方を学んだおかげだ、と語る。製パン業界最大手の山崎製パン社長だ。
資生堂名誉会長の福原義春は、「ドラッカーの著作は私の為に書いてくれたかのような内容だ」と言い、さらには「彼の考えはすでに私の中で一体となり、口をついて出る言葉がもはやどちらのものか、わからなくなっている。」とまで言う。
スクエアエニックスの和田社長は、社内で管理職になる社員にはドラッカーの「経営者の条件」を読ませている、とか。とか。

他の経営学者の書いた本と違って、読者層が幅広く、中には熱狂的な信者?
もいるピーターFドラッカーって、何が違うのだろうか?

一般的な経営学者の書いた本は概念の話であったりして、明後日の経営には役に立っても、明日の経営には役に立たない本も多い。
ドラッカーの本は、今、どうすべきか?に結論を与えてくれる内容が多い。
具体的な判断基準というか、指針の基になる考え方を説いているものが多い。
だから、今目の前で直面している問題の解決法の糸口になり得るのだ。

それでいて、技術的な「いわゆるHowTo本」ではない。
経営学者ではないがロバートキヨサキとか、橘玲の様な実践に直結した話ではないため、時間が経っても色褪せない。
ロバートキヨサキや橘玲の本は、具体的であるが故に有用でもあるのだが、国が違ったり、制度が変わったりすると、そのまま実践はできなくなる。

その点、ドラッカーの本は、むしろ哲学に近いかもしれない。
技術論ではなく、考え方や着目点、判断するポイントを説いている。
特に経営といっても、営利企業に限らず、非営利組織も含んだ様々な組織を構成する"人"について、書かれている部分が多い。
どうしたら、気持ちよく人が動くのか?生き甲斐を持ってその組織の活動に打ち込むことができるのか?を書いている。
だから、30年以上前に書かれたにもかかわらず、色あせない。

でもねー。分厚くって難しい本っていうのは、無理よ。駄目。
装丁の段階でNGですね。残念ながら。。。

この「マネジメント」は日本では3人の人が翻訳している。
つまり、3社から出版されている。
最も定評あるのが上田さんという翻訳者で、ドラッカーからの信任は厚いし本も厚い。本が厚いのは上田さんのせいではないが。
しかも、その厚い本が、上中下の3冊に別れている。
積み上げると完全に立体の構築物となり、高すぎて枕にもならない。
たぶん、この高さでは、寝違える以前に、眠れない。

その本からエッセンスを抜き取って1冊にまとめたものが、「もしドラ」の主人公みなみちゃんも購入した「マネジメント エッセンシャル版」というもの。こちらも前述の上田さん翻訳の本です。
マネジメントの1400ページをわずか300ページに凝縮してあるのだ。
(枕にするには、これだと逆に、ちと薄いな。)

さらにー、このエッセンシャル版を中学生でも理解できる様に平易に訳して書いたのが、この「もしドラ」こと、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という長い題名の本です。
題名は長いけど、本文は読みやすいぞ!

内容は小説形式になっていて、簡単にあらすじを紹介すると野球部の女子マネが間違ってドラッカーの「マネジメント」を買って読み始める。
途中で、野球とは関係ない本だと気付くが2千円も払って買ったのだから、、、と読み進める。
そうすると、高校野球部でも応用できる文言があちこちに発見でき、それを実践していく話だ。

毎回1回戦負けの野球部を、甲子園に行けるまでに育て上げるドラマ。
「野球を通して感動を与えるのが目的」で「『送りバントとボール球を打たせる野球』が、今の高校野球をつまらなくしている」というテーマは面白い。

各メンバーの性格設定に応じた施策などは、具体的でリアリティーがある。
東大野球部出の優秀な監督は部員とのコミュニケーションが取れず本領を発揮できない。エースピッチャーは実力はあるのだが、心に脆いところがあり、また、本心を誤解されがち。足の速さを見込まれてレギュラーを獲得した選手はそれを引け目に感じていた。
他にもいろんな人物が出てくるのだが、問題解決していく過程で、ドラッカーの「マネジメント エッセンシャル版」からの引用文が、そこかしこに出てくる。
(原典の引用ページ数の記載もあるので、並べて読んでも良いかもしれない。)

話の内容は、現実とはかけ離れたほど、トントン拍子に巧くいきすぎてしまって逆にリアリティがなくなってしまっているが、一つひとつの施策をドラッカーの文章を読み解く事例として捉えると、非常に分かり易い解説書になっている。
なので、この本は小説として読むのではなく、ドラッカー理論の具体的な事例を挙げた解説書として読むのが正解だ。

ちなみに「もしドラ」の著者「岩崎夏海」ちゃんは短髪のおっちゃんですので、お間違えなく。
この岩崎さんは秋元康に師事してAKB48のプロデューサーを務めた人らしい。
ゴッツイ顔して、なんでペンネームは「夏海」なんだろう。

何らかの組織にかかわる方は、是非、この機会にお読みくださいませ~。
手軽に「もしドラ」でも良いし、ちょっと真面目に「エッセンシャル版」も良い。
本格的に「マネジメント3部作」に取り組むも良し。(←僕は無理~♪)

さて、秋の夜長をどうして過ごす?

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予想は嘘よ

突然ですが、世の中のほとんどの予想は嘘である。
3次元に棲む僕らにとって、過去を知ることはできるが、未来を知る事はできない。大企業だってできない。誰もできない。
知ることができないから予想する。

未来は「予め想う(あらかじめおもう)」ことはできるが、予測する事はできない。
それを勘違いしている人がいかに多いことか?

あなたの会社にも予算計画があると思う。
ちょうど新年度を迎えた会社も多く「今年度予算は昨年度予算の10%Upを目指します!」とか、各社計画を立てている。

近年、この計画に対する縛りが益々厳しくなってきてはいないだろうか?
今日の話は「予算計画なんてクソ食らえ~」という話です。

さて、最近は予測しづらい世の中になってきていますね。
20世紀の日本は何度かの戦争があったにせよ、それ以外の時は割と安定的に成長してきました。
人口は増え市場は大きくなり、産業の進歩によって新たな需要が生まれ続けてきた。
自分の組織の次年度計画を立てる際、国や地域の成長と同じ位の成長率を見込んでおけば、多くの組織では大きく違うことはなかった。

しかし、21世紀のこの国では、人口は減り市場は萎み、年金問題や多額の国家負債に喘ぐ状態を想うと、更にネガティブに成らざるを得ない。
継続的、安定的な成長などは、困難極まりない話だ。
つまり、会社に対して「成長率」という言葉は、一律には使うことができなくなってきている。

市場とともに皆が成長するのではなく、新たに誕生する組織の数以上に滅んでいく組織がある。
なので、成長すると言うよりも、生き残ることが大切なのである。

さて、そんな中での次年度計画。
いつもの様に「昨年度の120%を目指す」何て事を言い続けている企業は、滅んでいく口かもしれないですね。
目標設定自体で滅ぶとか、生き残るとかと言うことはできないのですがその程度の時代認識では生き残っていくことは難しいだろうという意味です。

これからの組織で求められているのはいかに計画し、計画通りに経営を進めるのか?では、なくなってきている。
計画することによるデメリットが、大きく世の中に蔓延しているから。

お役所仕事の代名詞として、年度末の集中工事がよく言われる。
年度内に予算を使い切ってしまわないと、翌年の予算に影響する。
使い切らない予算は不要な予算と見做され、翌年度には削減対象とされるというものだ。

年度末に近いの営業会議で「幸い我々の課は予算を達成した。これ以上の売上の積上げは翌年度目標を引き上げることに繋がるので、今月以降の売上数字は、できるだけ翌年度に繰り越すように。。。」なんていう課長の訓示がある。

IRの観点やメインバンクの担当者からは、経営計画の大幅な上方修正は「経営者の計画管理能力の欠如と判断される可能性がある」なんていうことも聞く。

ある上場企業の例では「売上予算に対し下方修正がマイナス査定対象であることはもちろんだが、今年度からは、上ぶれ修正も130%を超えるとマイナス査定になる制度に変わった」という会社が実在する。

数ヶ月かけて、1年の予算計画を立てる会社もたくさんある。

バカじゃなかろうか。。。と思う。
今取れる売上を、今取らないで予算通りにすることが、立派な経営なのだろうか?
残しておいたその売上は、翌年度に本当に残っているのだろうか?

地道な営業努力がいつ花開くか?などは正確に予想できるものではない。
今取れるものを、今取らないでいつ取るのか?
明日には、その需要は、まず確実に残っていないのだから。

ただ、それぞれの組織に所属する人達にとって、上記の行動は自己保存の法則から見たら、正しい。
誰だって、評価されるための行動を取るのだ。
つまり、この社会の中で戦っていくルールがおかしいという話だ。

予定は未定である。
これは世の中の真理であり、予測することは不可能である。
では、どうするのか?

いかに計画通り進めるのか?ではなく、いかなる事態が起きたとしてもあらかじめ想定しておき、用意しておいた選択肢を実行していくか?が大事なのではないだろうか?
言い方を変えると「どんなカードを切るか」であり、「どんなカードを用意しておくか」という話が大事なのだと思うのだ。

「食い逃げされてもバイトは雇うな」の著者(山田真哉氏)は言う。
天才CFOの作った緻密な計画よりも、グラビアアイドルの戦略の方が優位性が高い、と。

天才CFOの過去分析と自社分析、社会経済の未来予測に基づく経営計画を忠実に実行することは、変化の激しい現代においては困難である。
むしろ、グラビアアイドルとしてデビューして、その後も競争の激しい芸能界で生き残っている彼女達に学ぶべきであると。

彼女達はグラビアアイドルとしてデビューした後、見た目の話だけではなく、話術であるとか、演技だとか、歌であるとか、楽器だとか、自分の長所を伸ばす努力をする。

そして新しい若いアイドルにその座を奪われても、いつの間にか司会業に転身していたり、気象予報士になっていたり、自分の居場所を作って生き残っていく。

組織も同じで「何を切る?」の選択肢となるカードをいかに増やすか?
が、重要課題になるというのだ。
まったくもって、その通りだと思う。

さびれた商店街の文房具屋。
昔は店の前でワゴンセールをすると売上が増えたのだが、最近は店の前を通る人すらいない。

必要なのは予算計画ではなく、インターネット販売かもしれないし、郊外の国道沿いに出店予定のショッピングモールへ出店することなのかもしれないし、文房具問屋の在庫処分品を発展途上国に売り込むことなのかもしれない。

いずれにせよ、カードを増やし、次の手を打つ必要がある。

カードを増やすと言うだけでは、会社の指針にならないのではないか?
という意見もあるだろう。
ま、それもそうです。おっしゃるとおり。

では、脱予算経営をしている会社はどのような基準で見ているのだろうか?
スウェーデンの銀行やフランスの化学メーカー等では予算経営をやめて、KPIなどの新たな基準を設定して企業経営をしている。
(KPI=Key Performance Indications=目標に向けての達成度合いを 定量的に示したもの。)

具体的には「売上高」とか「利益率」でみるのではなく、「在庫水準」「品切れ率」「解約件数」「顧客訪問件数」「従業員離職率」などの数値を定期的に取得し、プロセスの進捗管理をしていくという方法だ。
絶対的な予算目標とは違い、これらの数値を同業他社と比較したり、市場や社会の変化に応じて、対応していくために活用していくわけだ。

IR情報を目を皿にして読んでいる投資家の方。
投資家の動向が気になる上場企業の経営者の方。
顧客企業へ融資の可否を決める金融機関の方。

見るべきは予定通りか否か?ではなく、何をしようとしているか?
どれだけカードを持っているのか?だと思うのです。

一緒にこの生きづらい時代を生き抜きましょう。

参考文献(昔のベストセラーね)
「さおだけ屋はなぜつぶれないのか?」
「食い逃げされてもバイトは雇うな」
「食い逃げされてもバイトは雇うな、なんて大間違い」
山田真哉著
上記3部作は「さおだけ屋」が1巻で、3冊続きの連続ものです。
僕的には3冊目の「なんて大間違い」が最も面白かったですね。
数字との付き合い方から、数字をうまく取り入れた説得力のある話し方、それに、今回みたいな話まで、幅広く楽しめる本です。

是非どうぞ。

真実と正義

最近、ある人の本を続けて何冊か読んでいます。
それは村田信一という報道カメラマンの本。
取材っていろんな手法があるし、その人その人の得意不得意もあって千差万別。
ただ、この人の本は僕にとっては新鮮だった。

何が新鮮か?って言うと、地に足がついた報道と言うか、目線が非常に現地の庶民に近いと思うのだ。
いわゆる報道と言うとその国の政府の見解とか、戦争報道なら軍の発表に頼る部分がすごく大きく、そんな国目線での報道がほとんど。
しかし、村田さんは地に足が着いている。
その国で暮らす庶民がどう思っているか?をある側面から切り取った取材が多いと思うのだ。

分野としては戦争報道が多いのだけど、レバノンでも、チェチェンでも、ソマリアでも、軍の広報からの情報なんていうプロパガンダでこねくりあげた情報などは一切取り上げず、実際に自分の目で見て耳で聞いたことを報じている。
だから、断片的ではあるのだが、一つひとつのリアリティーが凄まじい。

また、日本の一般的な報道は欧米からの視点で成り立っているが、村田氏は、あくまで地元の人々の視点での報道をしている。
(地元の人は必ずしも、欧米各国と同じ主張ではないかもしれない訳で。)
なので、日本の一般的なTVニュースや新聞を見慣れた人には違和感があるかもしれない。

それは、取材方法の違いによるところが大きいだろう。
例えば、ソマリア内戦への国連平和維持軍駐留の報道についても、TVでは現地中継と言っても、ナイロビからの報道が多かったのだが、ナイロビでどれだけの情報収集ができるのだろうか?
(ちなみにソマリアの首都はモガデシュ、ナイロビは隣国ケニアの首都。)
当然、国連平和維持軍の報道官からの情報やケニア政府、ソマリア政府の出先機関の情報がほとんどを占めることになる。

村田氏の取材は、まず、現地に行く。これに徹底している。
公式情報で「現地には入れない。」と言われようと、現地に行く。
でないと、現地に住む人々が何を思い、何を見ているか?という、取材にはならないからだ。
その為には当然リスクを負うことにもなるが、本当は何が起きているのか?
に肉薄することができる。

ロシア軍が支配するチェチェンでは、直接入国はできず、お隣のダゲスタン共和国から陸路での入国を目指す。
当時、ジャーナリストに対してナーバスなロシア軍(ロシア軍の人権侵害についての報道が多かった)から身を隠す為にダゲスタンにいるチェチェン人の民家を転々としながら国境を越える。
チェチェン人の案内人(イスラム義勇軍兵士?)と一緒に夜の暗闇に紛れて山を越え昼間は民家で体を休める毎日が続く。

無事、チェチェンに入国を果たし、シャトイという村でその村の行政長と知り合う。
彼の手引きで、首都グロズヌイへようやく辿り着く。

その後、グロズヌイの潜入取材の後、ロシア軍の虐殺があったといわれる村へその真実を見るために向かう。
途中、路線バスの後部座席に堆く積まれた地元おばちゃん達(行商かな?)
の荷物の下に隠れて無事検問を突破するなんていうエピソードもあった。
勿論、おばちゃん達の全面的な協力があったことは言うまでもない。

言葉も通じないのにここまで周りが協力してくれる人間関係を築けるというのは村田氏の特技だろう。

これは、1996年04月の話だ。
その年の暮に、チェチェンは終戦を迎えている。
戦争についての一般論では、終戦間際というのが最も激しい戦闘がある。
ちょうどその時期の市民の目線での日本語での報道は殆ど他に類を見ない。

戦争ではないが、エボラ出血熱が大流行したザイールの取材では。。。
コンゴ共和国がまだザイールと言われていた頃、キクィトという小さな村では全身から血を噴き出し死ぬという奇病で、日に数人が亡くなっていた。
直接ザイールには入れないため、一旦隣のコンゴ民主主義共和国の首都であるプラザビルに飛ぶ。ここからは車と船を使ってザイールへ向かう。

国境ではカメラ機材リストのついた大使の紹介状を持っているにも拘らず荷物チェックに金を要求される。ここはUS$5で突破するものの、あちこちの部署をたらい回しにされつつ国境のビルを出た時にはUS$70が消えていた、と書かれている。
ようやくザイールの首都キンシャサに到着。
日本大使館では何も情報は得られず、赤十字へ。
日々変わるリアルタイム情報を得つつ、情報省の許可証がないとキクィトで取材ができないことを知る。
許可証を手に入れキクィトをお訪れ取材を進めていく。

まさに事件が起きているキクィトという村にはジャーナリストはほとんどいない。皆、逃げ帰ったのだ。
そこにいたのはオーストラリア人のジョン氏とカナダのテレビクルー4名だけ。
世界中で報道されているキクィトの村には、ジャーナリストは実際にはわずか6人しかいなかったのだ。
エボラ流行の渦中の村で、村田氏が見たものは。。。
(こちらについてもその先の取材内容については本を読んでね)

これが本当の取材なのだろうけど、新聞記者やテレビスタッフが皆がこれをやろうとしたら、命がいくつあっても足りない。
それに自社の社員を社命でこのような手法を取らせるわけにはいかない。
高確率で殉職するだろう。(村田氏はフリー。)

だから、すべてのジャーナリストに同じことをやれ、とは言わないけど、こーゆー手法の取材記事も一つの事象を一面的に見ないためにも知ることが必要なのだと思うし、
それを読むことで、一つの事象を多面的に見ることができるようになる。

徹底した現地主義というのは彼がカメラマンだからかもしれない。
記者なら現地の新聞や政府機関などの発表を伝聞で聞いても記事が書ける。
しかし、カメラマンはそれでは仕事にならない。

超望遠レンズで、遠く離れた街が燃え上がる風景を撮ったとしてもあまり意味がない。
TVクルーも同様のはずなのだが、政府軍や国連軍、関係機関が様々な映像を提供してくれるし、政府軍引率の報道撮影ツアーが催される場合もある。
(こーゆーツアーには、日本のカメラマンも多数、同行している。)
当然、主催する側の都合の悪いところには行かないし、見せない。

政府が情報提供した典型例は、イラク戦争の時のミサイル映像がそうだ。
全世界の報道機関がこれに飛びつき、アメリカの軍需産業のセールスマン役を買って出た。
あんなもんは、まったくもって、報道ではない。
少なくとも、テロリスト集団に着弾するところは映っていないし、着弾点のすぐそばの学校で学ぶ子供たちの姿も見えないのだから。

逆の立場も然りである。
村田氏は湾岸戦争当時、イラク政府が誤爆で破壊された病院や学校の写真を撮ることを強いられた、と、その著書に書いている。
どちらも自分に都合のよい報道をさせるために報道陣を利用しようとする。

政府組織や国の機関の正式発表に、中立的な情報はない。
その組織の見解であり、その国の立場であり、主張である。
それをいつの間にかお茶の間では世界で起きている真実の"全て"であると、信じてしまう。
真実であることには間違いないかもしれないが(加工された映像なんていうのは問題外)一面的にとらえた真実でしかなく、それは"全て"ではない。

身近な、例えば日本の刑事被告人の例でも同じような事が言えるだろう。
あるアパートの隣人を刺殺した被告人がいたとしよう。
被告人の立場から、その生い立ちを取材し、その犯罪に至るまでのドラマを作ったとする。
刺された隣人の分も、同様に生い立ちからの人生ドラマを作る。
どちらが真実か?といえば、もちろん両方とも真実だ。

でも、片方のドラマだけを見たら、見た人の感情は違ってくるだろう。
被告人が悪いことは間違いないにしても、被告人の生い立ちからのドラマを見た「裁判員」は、量刑を少しだけ軽くするかもしれない。
反面、被害者のドラマだけを見た「裁判員」は、極刑を望むかもしれない。
それと同じ話だ。

むしろ国と国の話の方が複雑なだけに、いくつもの見方をするべきである。
人の数だけ正義があり、人の数だけ真実があるのだと思う。

例えば、パレスチナ問題って一言で言うけど、誰が正義なのだろう?
って、そんなもんはない。
ない、のではなく、むしろ、人の数だけ、人生の数だけ正義は存在する。
だから片方の言い分ばかりを聞いていると事実を偏って認識してしまうかもしれない。

実は、この村田さんはイスラム教徒である。
どこまで敬虔な信者かは知らないが、酒は飲まないし、モスクでお祈りもするらしい。(毎日欠かさずしているかは知らない。)

多くの日本人は「イスラム教徒」というだけで、「自分とは違う何か」と考える人も多いのではないだろうか?

もっと言うと「イスラム教徒ってなんでテロとかするの?」というわけのわからないことを言う人もいるかもしれない。
イスラム教徒が、皆、テロリストのわけがないし、イスラム教以外のテロリストもたくさんいる。

ある調査では世界人口68億人の4分の1を占める15億7000万人がイスラム教徒だという。
もちろん、その大多数のイスラム教徒は「普通の人」だ。
ITエンジニアだっているし、女子大生だっている。
彼らは、音楽も聞くし、ダンスもするし、菓子だって食べる。

でも、彼らイスラム教徒の考える正義であったり理想というものは、欧米の報道機関では、ほとんど報道されることはない。
そんな彼らの内側から見た戦争というものを、一読してみるのも、見識が広がるのではないだろうか?
        「戦争の裏側」村田信一著

値切りは半額に、値上げは3倍に

表題の「値切りは半額に、値上げは3倍に」という言葉ですが、これは故松下幸之助氏の言葉です。
なにを乱暴な、と思った方もいらっしゃるかと思いますが、非常に思いやりに満ちた言葉だという解釈があります。

最近読んだある本の著者による解釈は下記の通り。
値切ることを考えた時に1割や2割程度を値切った場合、相手はその程度なら、闇雲にがんばる事によって、もしかするとカバーできてしまう範囲なのかもしれない。
もし、そうなら、それはお互いの為にならない。
(一方の犠牲の上に成り立つ取引になる。)

半値まで値切られた場合を考えてみる。
当然、今までのやり方では利益は出るはずが無い。
従って、根本的な見直しを図るほか無い、というのだ。
アインシュタインもライト兄弟も、非常識な事の実現を考えることによって、結果として世の中を前進させることに成功した。

100mを移動するのに10.00秒かかるものを、日々努力を重ねて1/10秒とか1/100秒縮めることはオリンピックでは有効だが、ビジネスの世界では有効ではない、と著者は言う。
自動車や飛行機を発明した方がビジネスの世界では有効だと、この著者はいうのだ。(私もごもっともだと思う。)

松下から半値に値切られた部品加工工場は、その内の何割かは倒産してしまったかもしれないが、何社かは根本的な見直しによって、倍の生産性を実現する。
結果、その部品工場の為にもなるし、松下の為にもなると言うのだ。

値上げについても同じ事がいえる。
1割や2割程度値上げしたところで、そんな微々たる金額では品質を明らかに変えるのは非常に困難。
で、あれば、3倍に値上げして、その商品を売る対象(マーケット)から製品の品質、販売方法に至るまで根本的に考え直し、売る事を考えるべし、というのだ。
(まさしくソアラをマイナーチェンジして大成功している、トヨタのレクサスの話のようです。)

久しぶりに「うーん」と唸る一冊でした。
目次から抜粋した項目は下記の通り。
・晴れた日にこそ傘をさせ
・彼氏は彼女がいる人の中から選べ
・残業をやめれば給料は増える

「千円札は拾うな」サンマーク出版
安田佳生 著  <(株)ワイキューブ代表>

読みやすく、わかりやすい表現で書かれているので、2時間程度で読みきれてしまいます。
私はこの本の全てを肯定するわけではありませんが、とても参考になる、お勧めの本だと思います。

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賢い消費者ですか?

Wed, 03 Dec 2003 01:27:50 +0900

先日、amazon.co.jpで書籍を購入しました。
Webで購入するとついつい買いすぎてしまいますね。
実際に書店で買うなら重たくて持って帰るのが嫌になってしまいますが、宅配だからそんなことを気にしないで買ってしまう。
そんなこんなで6冊ほど買い込んでしまいました。

その中の一冊の話です。

以前紹介したので覚えている方もいるかもしれませんが「黄金の羽根の拾い方」という本を書いた人で「橘 玲」という人がいます。
私にとってはこの「黄金の・・・」がとても参考になりました。
この「黄金の・・・」の続編のようにも見える「得する生活」という本を見つけたので、つい買ってしまいました。

この「橘 玲」という人の言い回しは非常にわかりやすく私は好きなのですが。。。
日本経済の現状を援助交際にたとえてわかりやすく解説したりしてくれます。

例えば「得する生活」の中でも「バカの三段論法」という項で史上空前の消費者金融の好景気について説明しています。
なぜ、銀行の無担保の個人ローンよりもはるかに高い金利の消費者金融が繁盛しているのか?
実際に銀行系ローンと消費者金融の金利差は10%以上も開いています。
(100万円借りたら年間で10万円も差額が出ます。)

巧みな宣伝戦略と無人契約機でシェアを伸ばしたことは確かかもしれませんが、本質は違うというのです。
(最近の「たまにはバ・バーンと」とか「あっとその時、あっとローン」なんていうのは銀行のコマーシャルですが。)

彼が言うには
1)同じ金を借りるなら、貸出金利が安いほうが有利だと気付くのは賢い消費者である。
2)賢い消費者は、そもそも高利の借金などしない。
3)賢い消費者にとっては銀行ローンの年利10%でも充分な高利なので、多少金利を下げたくらいでは金を借りない。
という三段論法が成り立つと。。。
そして、
1)同じ金を借りるのに金利の高低に気付かないのはバカな消費者である。
2)バカな消費者は、目先の欲望に目がくらんでいるから、高利な借金でも気にしない。
3)バカにとっては、年利10%も29.2%もかわらない。
という話から
→経済学においてはすべての市場参加者は経済合理的に行動する。
→しかし、現実の人間は経済合理性を基準に生きているわけではない。
→銀行などがバカ相手に商売をするにはバカにもわかる宣伝をしなくてはならな い。(コマーシャルの話に戻る)
と続きます。

たいへん乱暴な話ではありますが、現実社会をある意味、言い当てているのではないでしょうか?
その他、日本の民法が根本的に間違っている部分(日本以外のすべての先進国では債務法はあっても日本のように債権法はどこにもないという話など→これも以前のブログで書きましたが。。。)だとか不動産競売の実態など多岐にわたって経済の話を展開しています。

が、しかし、

そのほとんどはこれまでのこのブログに書いてきたことがほとんどで真新しい話が少なすぎる。
と、いうことで1500円のこの本、ブックオフで750円で売っていたら買いです。
しかし「リゾートマンションの競売物件で最低入札価格が1万円でも入札者がいない」というしくみが想像できない方はすぐ書店に走れ!

墜落遺体

Mon, 18 Jun 2001 23:34:35 +0900

本棚を整理していたら以前読んだ本が出てきました。
「墜落遺体」という本です。
思わず読み返してしまいました。

この本は16年前、あの御巣鷹山に墜落した日航機123便の520人、全遺体の身元確認までの127日を最前線で捜査の指揮にあたった責任者が、克明に、そして、淡々と語った壮絶な記録です。

私は読み終わるまでに10回は泣きました。

 以下はその一部です。
 食事がまだの方は食後にお読みください。

 *****************************************
 私は、愛する肉親を失った数千人の遺族の究極の悲しみの場に立ち会った。どれもが、私の記憶の奥底に永遠に封じ込めておきたい凄惨な情景である。できることならあの夏の出来事だけは私の記憶の中からすべて消し去りたいと思う。でも夏が近づくとあの情景が、もぞもぞと這い出してくる。
 遺族の極限の悲しみが集約された体育館の中で、各々の職業意識を超えて、同じ思いで同化していった一つの集団の記録を決して風化させてはならないと考えて本書を執筆した。
 *****************************************
 挫滅した顔面に三つの眼球がくっついていた。古川教授が綿密に調べた結果、頸部辺から、他の人の頭部、顔面が信じられないほどの力で加わって入った、ということであった。つまり頭の中に頭が入ったのである。
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 泥の塊と木の枝のようなものが一緒になっている。検死官に、「それ看護婦さん、洗ってください」と言われる。バケツの水で少しずつ泥を落としていくと、小腸と大腸らしき内臓であった。小枝のようなものは大腿部骨頭で、炭化していた。内臓の中から紙片が出てきたので捨てようと思ったら記録していた警察官に「なんですかそれ・・・」と言われ手渡す。それは領収書だった。領収書の宛名から誰の内臓であるかの手がかりにすると言う。内臓だけが戻される遺族の思いが頭をよぎる。ビニール袋の中に内臓だけをいれて棺の中に収めるなんて考えられない。内臓をさらしで丁寧に巻いてお棺に収めた。パネル一枚で仕切られた遺体安置のフロアから「お父さん・・・わぁ!」と泣き叫ぶ遺族の悲惨な声が、脳膜に突き刺さるように響く。思わず自分も叫びたいような衝動にかられる。
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 その河野(赤十字看護婦婦長)が最初に処理した遺体は幼児であった。それも頭部だけである。2~3歳だろうか、あどけなく口を開いている。坊ちゃん刈のような髪の毛がうっすらとある。ほとんど傷らしいものはない。きれいな、それこそ天使のような顔をしていた。その坊ちゃん刈の髪が、検死でその首を動かすたびにはがれてゆくんです。そう「抜ける」のではなく「はがれる」という言葉そのままに、全部はがれて落ちてしまいました。ガーゼを水に濡らして、この子の親になって、この子の気持ちになって、やさしく話しかけながらそっと何度も、顔を拭いてやりました。と当時の胸奥のつらさを静かに吐き出す。河野は他の看護婦に手伝ってもらい、子供の胴体部、手、足の形を相当な時間をかけて作った。頭だけを棺に入れるなんてとてもできないと・・・。河野婦長の班が処置した遺体はほとんどが離断遺体で損傷もひどかった。頭部欠損、両手両足欠損、下半身欠損などがほとんどである。蛆は憎々しく、丸
く肥え、遺体から湧き出てくる・・・。
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 12日の夜からの丸4日間は一睡もできなかった。<中略>21日頃から視野も狭くなってきた。まっすぐに歩けないし、前のほうしか見えなくなってきた。人の声も後ろのほうからするが、誰が呼んでいるのか、どこから呼んでいるのかわからない。神経疲労で幾日も眠っていないのが原因だ。体中の力が抜けてしまい、目の前がいよいよ狭くなってたっていられなくなり、体育館裏の芝生の上に寝転んだ。耳元で、「ドクターの言うことだから黙って言うことを聞け、お前死ぬぞ!」という声がした。
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ちょっと重過ぎましたね。
しかし、いろいろなことを考えさせる本です。

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