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公立小中学校でも留年?

京都市長の橋下さんが、小中学生でも学力が基準に満たない場合は留年させることを検討する様に、市教育委員会に指示を出したとのニュースがありました。

これ。僕、賛成です。

今の公立の先生って、何も武器を持っていないんですよね。
躾レベルができていない、理屈にも合わない一方的な言い分を言ってくる児童や生徒に対して、彼らを従わせる武器を持たない。

僕が子供の頃だと、鉄拳が飛んでそれでお終いだったけど、今そんなことをしたら、それこそ大事になる。
PTAとか教育委員会で問題にされ、その教諭が処分されたりする。

一部の公立学校では、学校崩壊などと言われていますが、何の武器も持っていない教諭にどうせよと言っているのか?と僕は思っています。

私立の学校は崩壊なんて起こり得ない。
退学にさせるという武器を教諭というか、学校が持っているから。
もちろん、いきなり退学ではなくても、停学とか留年なんていうことも普通にある訳で。

教諭に対して「こっち見るな、さわるな。うざい。」みたいなことを授業中に平気で言う生徒がいても、今の公立学校の教諭は言葉で諭す程度のことしかできない。
もちろん、三者面談などで親を交えて話をすることはあるとは思うけど、想像を超えるアホな親というのも存在する。

中1の息子の同級生の女の子は、親から「てっぺん取れ!」と言われているそうな。
「てっぺん」というのは「ワルの世界で1番になりなさい」ということだそうな。
自分の娘に言うか?そんなこと。
アホと言うよりも、親が子供なんでしょうねぇ。

そんな親と3者面談したって話にならない。(当り前)
傍若無人に振舞う彼女を誰も止められない。(周りが迷惑)

でもさ、公立学校も留年をさせるなら、それはそれで武器となりえる。
言うことを聞かせるのに、理屈が通じない動物レベルの相手には痛い思いをさせないと意思が通じない場合もある。
痛いというのは何も肉体的に痛くなくてもよい訳で。。。

ま、今回の指示は「学力が満たない・・・」という話なので、躾レベルの子達には使えないのかもしれないけど、学力を分けるだけでも少しは公立学校もマシになると思う。

今はほとんどの公立学校では、学力なんかもゴッチャでクラス編成をしているので、そのばらつきは大きい。
わからない子は2学年下の問題もわからないけど、塾などに行っている子は授業なんかは復習状態。
それらの子供を一緒に教えるのって、相当困難だろうなーって思うし、普通に考えて非効率的だ。

できない子に授業のレベルを合わせたら、できる子は退屈だし、それ以前の話、その学年のレベルの授業は成り立たない。
だって、本来、進級すべきでない、例えば、掛け算九九ができない4年生とかが居るわけだから。(芸能人にもいるけど。。。)

博愛精神だけでは、組織運営はできないのよね。

これ、橋下さんが言っていることはまともだと思うし、まともな学校組織に戻すための最初の1歩だと思うな。



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今、日本のリーダーに必要なこと

先日の朝日新聞に「板橋区で無料の塾」を開講している方についての記事がありました。
板橋区は給食費の補助等がもらえる「就学援助」の制度を利用する人が4割近くもいるそうです。
そんな中、公立の小中学校に通う子供達を対象に「無料の塾」をボランティアで経営していると。

この男性自身、有り余る財産や時間を持っているわけではなく、事業失敗の経験があり、現在も昼と夜のダブルワークをしながら、当時の借金を返済しているとか。
この話自体、本当に素晴らしいことです。
それは一切否定する余地もない。

でも、何かがおかしいと思うのです。
根本的な何かが。。。

こないだ、夜遅くタクシーで帰宅する途中、タクシーの運ちゃんと大激論を交わしたのを思い出しました。
大激論は走行ルートの話でもタクシー料金についての話でもありません。日本の未来の話です(笑)

夜中の2時頃、おっちゃん二人で(運転手と私)狭い車内の中、日本の未来を語り合う(苦笑)

「まずは未来に希望を持てる国にならないと・・・」
「人口減少は国力低下の根本的な原因の一つ・・・」
「移民政策を取らないなら、人口増加するには子供を増やさねば・・・」
「子供一人育てるのに数千万円もかかる馬鹿な状態を改善しないと・・・」
「そうだ、そうだ」と盛り上がっていたのでした。

運ちゃんいわく「高校無償化策を進めるべきだ!」と。
ここで意見が食い違う。

実際に中学生の子供を持つ親としては、違うと思うんですねー。
高校を無償化しても人口は増えない!(きっぱり)

公立高校の入学金と授業料がいくらなのか?というのが本質的な問題ではない。
冒頭の無料の塾の話を思い出して欲しい。
なぜ、学校に行っているのに、さらに別途、塾に行かねばならないのか?
そこがおかしいと思うのですよ。

なぜ、お金に余裕のある家は子供を私立の学校に行かせたがるのか?
問題の本質はそこにある。

いくら無償化されたって、今のほとんどの公立高校は、別途、塾に通わねばならない。
僕の通っていた高校は進学校と言われていたけど、皆、4年目は駿河台とか代々木に通っていた。(予備校ね♪)
8割以上が進学ったって、その半分が予備校では進学校って言えるのだろうか?

加えて、教師の質の問題。
近所の小学校には、親の目から見ても(ごく偶にしかその先生に会わなくても)おかしいと思う教諭というのが複数いる。
そんな先生が教科別担任だったりすると、てきめんにその科目の成績が軒並み下がる。うちの子だけでなく、近所中、その学校に通っている児童、みんな下がるのだ。

私立ならそんな先生は淘汰される。
具体的にはクビになったり、法的にそれができなくても第一線からは外され、事務処理などの仕事に回される。(事務職がどうこう、というのではなく、直接子供に接しない仕事という意味です。)

本人の希望と適材適所が必ずしも一致しないのだから仕方がない。

しかしその仕組みが公立学校にはない。
校長に訴えたところで、できるとしても次の異動の対象になる程度の話だ。
異動して別の学校で同じことをしている。これでは何の意味もない。目の前の臭い者にフタをしただけだ。

そのため、組織として崩壊しているところがいくつも見受けられる。

今春、ある少年が公立中学に入った。
中学校は小学校より学区が広いので、いくつかの小学校から集まってクラス編成される。
特定の小学校からきた児童達(中学なら生徒か)が徹底的に出来が悪い。というか、授業が成り立たない。
座っていられないというか、喋りっぱなしだったり。。。
聞けば、彼らが卒業した小学校はいわゆる学校崩壊しており、小学校の授業自体が成り立っていなかったとか。

水は低いところに流れる。
簡単に流れていく。
その中で、自らの"普通"を維持していくにはどうするのか?

塾だとかの習い事に頼るわけだ。
危機的状況というのはそこにある。

昔は他人より上を目指すために塾に通った。
より難しい学校に入るために塾に通ったが、今は違う。
落ちこぼれにならないために塾に通うのだ。

これって、仕組みとして成り立っていませんよ。すでに。

私立の学校は厳しい。躾も授業も厳しい。
でも、学校だけに行っていれば、その年代に必要な学力や人間関係など必要な経験がそこだけでできる。
部活に宿題と子供達本人も大変ではあるが、塾や習い事に行く必要もないし、行く時間もない。
教師もひとり一人の進路を真剣に考える。直接自分の業績にもつながるので必死だ。公立高校の先生とは背景が違う。

どちらが合理的なのか?
同じ条件でどちらでも選べるのであれば、どの親も間違いなく私立を選ぶだろう。

戻って、タクシーの運ちゃんとの話。
いくら学費が無料になっても、結局それで事足りないのであれば、決して安いものではないと思うわけです。
だから、その方向にパワーをかけるのではなく、質の向上を目指さねばならない。

私立と違って公立の先生って、よっぽどのマイナスがなければ、問題なく翌年も教師という職務に就ける。
そんな会社って、ないと思うんですよね。いまどき。
私立の高校教師のように成果が上がらないと生き残れないような仕組みが必要。
公立の先生ほど、のほほんと生きていても大丈夫な世界は、郵便局が民営化された今、他にはない。(きっぱり)

この国の未来を作るのは子供達な訳ですよ。
そこに投資しないでどうするんでしょう?

今日明日の生活費に、集めた年金ばら撒いて、未来の子供達が返済する赤字国債を刷りまくって、明るい未来なんか有り得ない。

話を元に戻すと、理想を言えば、日本全国すべての塾が廃業せざるを得ないような公立学校にする。
そこまでいかなくても、ましな教育をしていかないと、いくら無料化したところで、まったく意味がない。

ボランティアで塾を経営することはもの凄く立派ではあるけれど、むしろそれを見ている、その地元の先生達はどう考えているのが知りたいですね。
頑張っている先生がいるなら、その先生がボランティアを引き受けて学校の指導要綱に縛られないで塾で教えているとか、そんなことって、実際ないんだろうなぁ。

もちろん、先生達だけでどうにかなる問題ではなく、教育委員会とか文科省の問題もある。
そもそも、民間は出来が悪いと左遷されるけど公務員は別、というところから直さないといけない。
中小企業なんて普通にクビになっているわけですよ。事実上。

クビにまですることはないかもしれないけど、「受益者の満足を計測する仕組み」は絶対に必要なんです!

計測してますか?

公立学校ははじめとする公共サービスは、顧客満足の計測をして自己のサービスのレベルを適正に把握していますか?

満足を与えられない人を同じ職務に就けておくこと自体が悪です。
お互い不幸ですよ。サービスを受ける側も提供する側も。

そこを直さないと、いくら国家予算を組んだって駄目。
まず、そこで働く人(主に教師)のレベルを上げる。
向いていない人は他の職務に異動させる。(他の学校に異動、ではなく、教職から異動していただく。)

以前も書いたが、学校社会だけしか知らない教師は不要です。

だって、ほとんどの学生は卒業したら社会に出て行くわけです。
しかし、教える教師が社会のことを知らないで何が教えられるのだろうか?
学校社会でしか通用しないことを教えているから、日本の新卒社員は膨大な社員教育を受けないとビジネスマン初級レベルにすらなれない。(この話は詳しくはこちらを

さらには教師の側にも武器を持たせなければならない。
体罰は駄目、ちょっと強く叱っただけで親が出てくるようであれば、おっかなくって真剣に教育なんてできない。

その点、私立の学校は武器を持っている。
私立小学校で学校崩壊しているところがないのは、単にこの武器があるからですね。

もちろん、体罰とか強烈な叱責が許されているなんて言うことはないのだが、駄目な奴は退学させる。
ただそれだけ。
「ルールが守れないならお引き取りください」というただ一言。
その意味では公立高校はこの強い強制力を持っているわけだが、全体の組織としてうまく機能しているところは少ない。

板橋区のダブルワークをしながら、友人達を教師として集めてボランティアで塾を行っている方は凄い。
でも、そんな頑張りをしなくても良い、世の中に、少しでもこの国が進み始めると、僕ら庶民にとっても未来が明るく見えてくるのではないだろうか。

このままこの国が進んで行ったらえらいことになるぞ、と皆思っている。
だから、未来に希望が持てない。
同じ、駄目な環境の中でも、少しずつでも良い方向に行っているなら、あるいはどちらに行けば良くなるのかが見えていれば、未来に希望が持てる。

今は調整型のリーダーは、この国には要らない。
明確なビジョンを示し、邁進していく強いリーダーが必要なのだと思う。
少しでも明るい未来が想像できるようになった瞬間、この国は本当に復興に向けて強く動き出すことができるのだと思う。



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気に入らない世界地図

トイレに世界地図が貼ってある。
毎日、毎日、トイレの中では、その世界地図を眺めています。

縁には地図を囲う様に各国の国旗が描かれている。
「こんな地図、子供の頃も眺めていたなー」と思って眺めていると何かが違う。
「何が違うのだろう」と考えていたら、今朝突然、記憶が閃いた。

順番が違う。
国旗の並んでいる順番が違うのだ。
現在、我が家のトイレに貼ってあるダイソーで購入した世界地図には、右上から時計回りにぐるっと1周、国名のあいうえお順に国旗が描かれている。
なんぢゃこりゃーー?

ダメでしょ。こんな順番で並べちゃ。
国旗は地域別に並べなきゃ!
上と右上はアジア、右下が中米から南米各国、下はオセアニア、左下はアフリカ諸国で左上がヨーロッパ。
昔の僕の家のトイレに貼ってあった地図は、間違いなくこの順番だった。

ノルウェーとデンマークやフィンランド、スウェーデンの国旗は、並べてこそ面白い。
(仲悪いのに、本当は仲良しなのね?とか思っちゃう。)
アフリカの国々の国旗の特徴は?
英国の国旗が含まれている国旗ってどの辺に多いの?
縦3色 or 横3色の国旗が多いのは、どこら辺の国々?
って、50音順では、そんなことに自然に気付くことも有り得ない。

そもそも50音順にする意味とは?
国名から国旗を探すなんてこと、そんなにあるのだろうか?
だいいち、目の前に世界地図があるのだから、場所別でも何ら困らないと思うのだが。

では、50音別で探してみよう。まずは日本から。
日本はどんな読みで探す?ニホンなのか?ジャパンなのか?
ジャパンじゃなくて、ニホンなのね。あった。あった。

お隣の北朝鮮を探したが見つからない。そっか、国名は朝鮮民主主義人民共和国か。
あったあった、北朝鮮。
チュニジアの隣にあった。
これって、韓国の隣にあった方が便利ぢゃね?

じゃー、今話題のリビアも正式名称で引かないと駄目なのかな?
そんなこたーない。通称のとおり、リビアで出てくる。
(正式名称は「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」)

リビアの国旗は、もっともアフリカらしい国旗だ。
なので、子供の頃から絵柄は憶えていた。
なんせ、緑一色。

これはこれで、強烈な個性を主張している。
アフリカ諸国の国旗は緑を使ったものがやたらと多いのだが、国土に緑が多いことと、どっかで繋がっているのだろう。

地域と色というと、ラテン系の国は黄色とか赤を良く使う。
南太平洋諸国は圧倒的に水色が多い。
ヨーロッパは何故か3色の国旗が多い。

なんつーことも、50音順の地図では、自然には気付けないのですよー。

この世界地図、気に入らないな。。。

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覚えていないと駄目なの?

京大入試カンニング事件は偽計業務妨害容疑で仙台市内の予備校生が逮捕され、大騒ぎとなった。
ところで、そもそもカンニングって犯罪なのだろうか?

言うまでも無く、犯罪なんかである訳がない!
ただのズルだ。
嵐の無料コンサート会場に入る為の長い列に横入りするのと、本質的には、あまりかわらない。
それを国家権力を介入させて捜査逮捕するなんて馬鹿げた話だ。

やり得にしなかったというのは、大いに評価できるところなのだが、この事件を通して、教育問題のひずみが垣間見えたりもする。

まぁ、どんな事情があれ、ズルは駄目よ。ズルは。
でも、それは躾とか価値観の問題であって、犯罪ではない。
それを警察沙汰にして、偽計業務妨害なんていう別件逮捕みたいな容疑で逮捕するのは、ホリエモン事件を連想させる。(カンニングを逮捕するなら横入りも逮捕しないと不公平だ。)

さて、もっと本質的な話をしよう。

そもそも、カンニングってズルなのか?

ビジネスの社会ではYahoo知恵袋を使って迅速に正解を導き出し活用することは、褒められる事はあっても犯罪者扱いされることは無い。
それが今回のケースでは犯罪者となった。

まず、根底の話として、学校というのはなぜ存在するのだろうか?

いずれ社会に旅立つにあたって最低限必要な知識経験、道徳価値観を学ぶところである、と、僕は思う。
言い換えると「読み書きそろばん」と「倫理道徳」と「一般教養」の3つを身に付けるところだと思う。

99%の学生や生徒は、いずれビジネス社会に旅立っていく。
学校社会で一生を過ごすのは、教職員と研究者だけだ。
ほとんどすべての人達は卒業後は社会の荒波の中に船出していき、ビジネスの世界で戦っていく。

であるなら、ビジネス社会で有効活用できる経験や知識を、身に付けることができる学校こそ、価値が高い。
高度化した「読み書きそろばん」を教える事が必要なのですよ。(大原専門学校の宣伝ではないが。。。)

では、その「高度な読み書きそろばん」って何だろう?

以前は、知識であるとか記憶というモノの価値は高かった。
何かわからない事があったら百科事典で調べたりしながら、仕事に活かしたものだ。
そんな、百科事典は持ち歩けないし、書いてある内容も限定的でかつ、最新ではない。

なのでビジネスを遂行していく上でわからない事があると、国会図書館に調べに行ったり、あちこちの専門家を取材したりして、情報を集めて、それを組み合わせたり、応用して、企画案などを作成するのが普通だった。

でも、今は違う。
わからないことは、グーグル先生が教えてくれる。
それも即座にだ。

提案先のお客様会社の受付で待つ間に「あれって何だっけ?」を携帯電話で調べることができる。
極端な話、お客様と商談中に「ちょっと調べてみますね」と言いつつ、PC端末を指し示しつつ、数秒間で結果を見せられる。
つまり、記憶や知識そのものについての価値は著しく低くなったのだ。

記憶だとか知識そのものよりも、それを選別する能力であったり組み合わせたり応用する能力が問われる、というか、そこでしか差がつかない時代となっている。

「海苔の佃煮の作り方」を教えて欲しい、と言って携帯電話を渡せば、ほとんどの人が数分以内に正解に辿りつけるだろう。
なので、こんなもんを記憶することに時間や労力を使うのは無駄でもある。
こんなもんを試験問題化するのは愚の骨頂でもある。

もちろん、考えることの基礎となる記憶は必要ですよ。
「H2O」という文字列を見て「H」は何かをググって「あー水素か」「O」をググって「あー酸素か。「H2O」は水かー。」って、そんなレベルは知っておけよという話ではある。

西郷隆盛が何をした人で、徳川家康はどんな時代を生きたのか?
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を暗誦する必要は無いけども、どんな話なのか位は、知っておいて欲しい。

エキサイト翻訳があるので、外国語は不要か?って、そんなことはあり得ないのと同じ事。

ただね、記憶を問う問題というのは試験にしやすい。
正解は一つしかないことが多いし、正解かどうかが一目瞭然なものが多い。機械的に合否を出しやすいのだ。

一方、学校では、次の段階の入試で問われるものを教えて欲しいというニーズが元々高いため、試験で問われるモノを教えることを最優先課題とされがちである。
その結果、本来の目的から逸脱し始めるわけだ。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んで組織運営に応用できる事例を3つ挙げよ、というのと、「蜘蛛の糸」の冒頭の30文字を、一語一句間違わずに書かせるのでは、どちらが採点し易いか?

30文字書かせることの採点は簡単だし明確だが、それは教養以上の何の意味もなさないのは言うまでも無い。

それに対して、前者は採点が非常に難しい。
正解は無数にあるし、採点者によって点数が変わる可能性もある。
さて、社会人にとって本当に必要な考え方を学ぶには、どちらの問題がよりベターなのだろうか?

以前も書いたので記憶されている方もいるかもしれないが、アメリカのある高校の試験ではカンニングし放題としている。
記憶を問う様な単純な問題ではないため、カンニングでは、答えが導きだせないのだ。
これは採点は大変だろうけど、実践的な力を問うものである可能性が高い。

シェイクスピアを暗誦するのは教養レベルの話であり、その部分はビジネスの実社会では「プラスα」の部分である。
教養というのは人生のスパイスにはなるが、メインディッシュの中心的な素材にはならないのよね。

なのに、教養以前に身に付けなければならないところは、学校社会では、あまり力を入れてトレーニングされていない。
というか教養部分ばかりを一所懸命教えていたりする。

なので、どの会社も新入社員教育に膨大な金と時間がかかっている。
最高学府を優秀な成績で卒業してきた奴でさえ、そのままでは社会では通用しない(涙)

課題やテーマを与えても、自分一人で考えてウンウン唸っている。
そして、制限時間が過ぎ、白紙の回答を出してきた。

違げーだろー。わからなきゃ、聞けよ。聞いてまわれよ。
調べろよ、ググればいーじゃん。
(さらには)わかんなくても、何かは書けよ。
課題とは関係ない自分の想いでも熱く書いてみたら?
5点くらいはもらえるかもよ?

え?いーんですか?って、いーんだよ。
ビジネスの世界では、犯罪以外は何をやってもいいのだ。
極端に聞こえるが、それが現実。

仕事を取るのに美しい提案書を作ってもいいし、手書きだけど超効果的なアイデアを提案してもいい。
そんなアイデアなんて湧かない?
なら、ゴルフに誘って接待して、美味しい料理とお酒を飲ませたってよいのよ。相手が公務員でなければね。

結果を出せた者が勝ち。

運動会で手をつないでゴールしてちゃ駄目なの。
最初っから2位を目指しちゃ、駄目なのよ。
1位を目指すから、結果として2位や3位が取れる訳で、最初から2位を目指したって、入賞なんてできるわきゃーねーって。
世の中そんなに甘くないからね。

記憶を問う試験でいくら成績を上げても、仕事はできない。
一般社会で幸せに生きていくための方法は、今の学校では教えてくれない。

「海苔の佃煮の作り方」で点数をもらえるのは学校社会だけだ。

「海苔の佃煮」と「塩クッキ―」のレシピを組み合わせて「海苔の佃煮を使った塩味の効いた美味しいお菓子」のレシピを考え出して、初めて実社会ではちょっとだけ点数がもらえる。

カンニングOKの試験で入試をする学校が日本でも現れたら、少しは理想の教育に近づくのかもしれないね。



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カンニングOKの高校

先日、雑誌を読んでいて面白い記事を見つけました。

アメリカの高校での試験の話。
その高校の試験ではカンニングOKとしている、との記事です。
試験問題について、Webで調べようと誰かと相談しようと、どんな手段を使っても(法律の範囲内であれば)よいというものです。

解答は一律の模範解答があるというものではなく、世の中の様々な問題解決と同様に、複数の回答例があるような設題になってる。
この問題を解く為に、誰かに相談してアイデアを引き出すも良し、Webなどを使って自分でじっくり考えても良いというもの。
解答の添削は、その内容とスピードで評価されるようです。

この記事を読んで、これこそ実社会で使い物になるための教育であると思ったのでした。

別の雑誌の記事にはIBMの話が書かれており、これも強い興味を抱きました。
その記事というのは、IBMでは世界中の支社支店で統一されたスキルチェックシートを使っているとの事で、各国の新入社員の点数について書かれていました。
日本IBMの新卒新入社員の平均点は5段階評価でほとんどが1や2ばかりで、すぐには戦力とならないのに反して、アメリカやイスラエルの新卒新入社員は平均して3前後のポイントがついておりすぐにでも業務で戦力となっている、とのこと。
学校卒業段階で、既に、3年程度の差がついているのです。

最初に紹介した考え方の学校教育のあり方にも、このあたりの話は強く影響している様に思えるのです。

今後迎える少子高齢化社会では、絶対的にヒトの質を高めていかねば、勝ち残れない。
この国の高い賃金水準を維持していく為には、一人ひとりの精度を絶対的に高めていくしかないわけです。
でなければ、大勢の安い賃金の圧倒的パワーで勝負している中国に呑み込まれてしまうでしょう。

15年前、高齢化社会と巨大な福祉に喘いでいた北欧諸国は、教育制度を抜本的に見直すことによって今日の経済成長を獲得しています。
今現在では、世界の競争力ランキングの上位10位には北欧諸国が4ヵ国も入っているのですから驚きだ。

携帯端末の最大手のノキアをはじめ、エリクソン、ダニスコ、エレクトロラクスなども北欧諸国の企業です。
そのノキアの売り上げの99%は、なんと海外の売り上げだそうな。
たった500万人余りのフィンランドでは、世界で勝負ができないと自国だけでは市場が狭すぎて企業規模に限界があるわけです。
デファクトスタンダードに従うのか、あるいは世界標準を自らが作るのか?の二者択一で世界に打って出るしかないのです。

15年前の北欧諸国は、ちょうど、今の日本と似ていると思うのです。
たいした資源も無く、ヨーロッパの端っこの北欧諸国は人口も数百万人規模の国が多い。
(似ているというより、日本の一地方レベルの規模ですね。)

では、その教育制度改革とはどんなものだったのでしょう?

まず、フィンランドでは、小学校1年生からコンピュータを使った授業を導入し、授業自体もフィンランド語ではなく英語で行われるものが多いとか。
日本よりもちょっと狭い国土に、兵庫県よりも少ない人口。
しかもその狭い土地のほとんどが北極圏に位置するフィンランドでは、世界で通用する人材の為の教育が初等教育からなされているのです。

デンマークでは、教師がTeachすることをやめたそうな。
明快な答えがない時代では、答えを教えるTeachではなく、答えを導き出す方法を学ぶ、Learnが必要だというのだ。

この方法は教える側にも高い能力が求められる。
画一的な模範解答が記載されているものだけに丸をつければ良いという、機械的なこれまでの教育手法が役に立たないからだ。
高いコミュニケーション能力を求められる上に、問題の本質を見極める論理的な思考も必要である。
これらは訓練によってのみ身につくものであり、教わって知るものではない。

小児教育の段階では知識の蓄積も必要なのだが、読み書きそろばんがある程度できる段階に入ったら、考え方を変えるべきだ。
答えを教えるだけでよい時代は、すでに終わった。
日本の高等教育でも、答えを導きだす方法を身につけさせる教育をしなければならない。
そうしないといつまで経っても実社会と学校社会の溝は埋まらない。
卒業した段階でゼロクリアーの状況は変らないわけだ。
(卒業した段階でゼロでは何のための教育なのだろーか?)

さらに日本の現状を。
いまだにこの国では、文部科学省の学習指導要綱のもとに、旧態然とした丸暗記教育が続けられている。
IT教育とは名ばかりの、メールやWeb閲覧を教える程度の低レベルなIT教育。(教える側が訓練を受けていないのでどーしよーもない)

現行法ではリストラされない地方公務員である教職員は、地方によっては人が余っている。(財政を圧迫している。)
しかも、教育指導要綱にがんじがらめになりながら最前線で試行錯誤を繰り返す教師の内の15%が心身症、というデータすらある。

この国にとって、今、最も必要な緊急かつ重要な課題は郵政民営化でも医療制度改革でもなく、教育制度改革だと私は思います。



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