記事一覧

安全と危険の境界線

Date: Mon, 26 Jan 2004 01:18:15 +0900

つい先日、自衛隊の先遣隊がイラク入りして、即座に出された報告では「現地は安全である」とのこと。安全って、何をもって安全と言うのでしょう?

本当に安全なら報告の翌日(翌々日?)に警察官が自動小銃で殺害されるなんていうこともないでしょうし、自衛隊がわざわざ行く必要もない。

そもそも安全という言葉は、絶対評価の言葉ではなく相対評価の言葉です。
「好き嫌い」とか「良い悪い」と同じです。
安全であるという言葉の意味はイラクの他の地域よりは安全?かもしれませんし、ソマリアよりは安全?かもしれません。
あるいは去年よりは安全?という意味かもしれません。

結局、今、国会や防衛庁であれこれ論議されていることって言葉遊びでしかない。
簡単に言えば、その目的はどうやってお墨付きを与えるか?だけ。

娘を持つ日本人の親は門限までに娘が帰ってくれば安心している。
しかし、アメリカ人の親は外出中の出来事を根掘り葉掘り聞いて行動を理解して初めて安心する、という話を聞いたことがあります。
そんな国民性が出ているのかもしれません。それが日本の社会性ですかね?

許認可にしても融資にしても書類さえそろっていれば日本の社会は安心する。
しかし、アメリカなどの社会で融資を受けようと思うなら書類はそろっていなくても中身がしっかりしているかどうかで融資が実行されることもある。(だからベンチャーキャピタルは日本では、はやらない。というか機能しない。)

ちょっと話が広がりすぎましたが、この国でもそろそろ建前と本音の世界は卒業し、本質を見極めて判断してはいかがでしょうか?

ずぶの素人である私でさえ、一歩海外に出れば、世界中に撒き散らされたロシア製やアメリカ製の自動小銃からロケットランチャー、手榴弾など簡単に手に入れることができます。(地雷や銃剣なら夜店で買えます。)
http://homepage2.nifty.com/beaver/Cambodia/bomb.html
http://homepage2.nifty.com/beaver/Cambodia/shoot.html
ほんの何ヶ月か前まで戦争をやっていたイラクという国(今も内戦中?)でなら推して知るべしです。

知り合いにイラクに仕事で赴く人がいます。
生命保険の申込書を前にして悲痛な表情。
本当に必要なのは書類上の安全宣言ではなく、テロに巻き込まれないための知恵やテロに巻き込まれた時の対処方法ではないでしょうか?(レストランでの座る席は?移動にはどんな手段で?どんなルートを?民兵に賄賂を強要されたらどうする?車両で移動中に前後を乗用車ではさまれたら?銃声が近くで聞こえたら?群衆に取り囲まれたらどうする?etc.etc.)

自衛隊ですら正当防衛しか認められない状態では、戦場(私は内戦状態だと思う)になど向かわせるべきではありません。きちんと法整備を行い、赴く人々が任務に専念できる状態を作らねば、新たな悲劇が生まれるだけではないでしょうか?

民間人であっても戦場やその周辺に慣れた人は皆、自分の身を守るための武装はしています。(常識です。)
日本から赴く民間人で、現地で武装しなければと思う人が何人いるでしょうか?(イラクなど多くの国では、ちゃんと登録すれば合法的に武装できます。)
もっとも、武装してもきちんと使いこなせなければ、むしろ自分の身を傷つけることになってしまいますが。(銃の安全装置の構造を知ってますか?)

自衛隊が現地で造るであろう道路や橋、学校など。それを待ち望んでいる人もたくさんいるのは事実です。そして近い将来、貧しいながらも希望に目を輝かせながら学校に通う子供達の姿も想像できます。

しかし、この日本という国にとって、先にやるべきことは山積されています。

コメント一覧

未承認 2020年08月22日(土)05時03分 編集・削除

管理者に承認されるまで内容は表示されません。