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「ディアインディア」発売記念と僕の旅の始まり

友人の写真集が発売されました!

1990年夏
僕は生まれて初めての海外旅行で、ひとりインドにいた。

バラナシの安宿の雑居房で出会った、一人の日本人写真家。
歳は僕の二つか三つ上だったと思う。

旅の途中で出会った彼とは、その後、カルカッタもあわせて、約2週間位、一緒のドミトリーで生活していた。

彼は毎日、白黒のフィルムの入った一眼レフを持ち、雨の街を徘徊していた。

一方、僕はその旅にはカメラを持っていっていなかった。
あの時の旅について、今でも残っている記録は記憶のみだ。

なので、この写真集は僕の初めての海外旅行の記録でもある。(←勝手に)

僕の古き想い出につながる写真集~♪

堀井太朗氏
彼は今、石垣島で陶芸家として暮らしています。

さて、当時のインド。

僕の初めての海外旅行は、衝撃の連続だった。

トランジットで滞在したバンコク。
ジュライホテルで出会った、古参のバックパッカー。
日本ではたぶん、出会うことのない人々。

デリー空港の銀行窓口で、日本円をインドルピーに両替をした時。
まさかとは思ったけど、行員が500ルピー札をちょろまかそうとした。
「500ルピー足りない」と告げると「わかっているよ、今渡そうと思ったんだよ」とポケットから出す。
おいおい。

安い航空券にありがちな、深夜到着。
ぼられながらも、なんとか深夜の街にたどり着き、宿を探す。
外国人が地図を広げていると、好奇心旺盛なインドの人々が寄ってくる。

私に群がるインド人達が口々に叫ぶ。
「どうした?」「どこから来た?」「どこに行くのか?」
「俺のタクシーに乗れ」「俺が両替してやる」「女はいらんか?」
初めての海外旅行で到着したインド、夜中で疲れており、宿で休みたい。

僕は叫んだ。「私はオールドデリーが欲しい!」
人々は、ぽかんとして散っていく。

僕は英語が不得意だ。
英語の偏差値は45でずっと過ごしてしまった。
I'd like to go to old Delhi.
と、言うつもりが、
I'd like to old Delhi.
と、叫んでいた。こりゃ、意味わからん。。。(笑)

翌朝、起きると、外は洪水だった。
この国にある、ありとあらゆるものが、道に流れていた。
この洪水も、3日で慣れた。
それが、雨季のインドの日常風景だったから。

街でビールを飲んでいると、誰も相手にしてくれなかった。
でも、皆から尊敬されている僧侶が、道端で車座になってマリファナを回し飲みし、紫の煙をたなびかせていた。
「旅の人、一服どうかね?」と笑顔で手招きする。

世界遺産のタージマハルの入り口で、なぜかインディージョーンズのようにムチを振っている男がいる。
話しかけると「このムチを買わないか?」と言う。
インディージョーンズに憧れていた僕は欲しくなる。

交渉すると、100円ライターと交換してくれると言う。
今渡してしまうと、宿に帰るまでタバコが吸えないので、夕方、帰りに交換しようと約束する。
そして、夕方。
いくら待っても彼は来なかった。。。

当時、インドの大都市では、100円ライターの改造屋がたくさんあった。
空になった100円ライターを持っていくと、お尻に細いドリルで穴を開け、バルブをねじ込んでくれる。
このバルブをつけてもらうと、ガスが充填できるようになる。
もちろん、ガスの充填屋さんも繁盛していた。

ガンジス川の日の出を見るため、早朝、舟に乗った。
美しい日の出。
ふと、川岸に目をやると、野犬が何かを食べている。
それは、下半身だけになった男の死体だった。

地下迷宮のような街を、散々迷い、彷徨う。
そして、突然、明るいガートに出る。
ガートの横で焚き火をする人々。
よく見ると、その焚き火からは、人の足が突き出ている。

その広場は、青空の下、とうとうと流れるガンガーのほとりにある、壁もない(もちろん屋根すらない)火葬場だった。
沸騰し、破裂するはらわた。
涙ぐむ家族。

ガバメントショップ(政府直営店)と書いてあるラッシー屋(ヨーグルトドリンク屋)。
大麻のたっぷり入ったバングラッシーをジョッキで一気飲みしている警官がいた。
彼は目を真っ赤にして、何事もなかったように交通整理のため交差点に戻っていった。

日本人宿には、膨大な量の若者の顔写真が貼ってあった。
「この人物を見かけたら連絡を欲しい。父より」
そんなメッセージが添えられていた。
行方不明者はとても多い。

事件や事故に巻き込まれたケースもあると思うが、その大半は、自ら沈没し、行方を絶ってしまっている人も結構いると思う。
僕自身も、自暴自棄になり自らのパスポートを破る人を見ている。

旅のベテラン、sottbabaさんに出会ったのもこの頃だ。
sottbabaさんは身長180cmと、大柄なのだが、体重は50kgない。
なので、トランプのような人だった。
前から見ると存在感があるのだが、横から見ると薄い。(笑)

旅のベテランらしく、荷物が少ない。
次の街に移動するという日、見送りに出ると、スーパーのビニール袋をひとつ手に持っているだけだった。
「荷物は?」と、聞くと、それだけだと言う。

数ヶ月間、旅を続けている彼は、最初はもっと荷物があったらしい。
「旅と言うのは失うことなんだよ」と、言っていた。
スーパーのビニール袋からは、体を洗うナイロンタオルがはみ出していた。
sottbabaさんは、今、日本で、聖「ひじり」として暮らしている。

ガンジス川で出会った老人は、3ヶ月かけて、歩いて聖地バラナシに来たと言う。
ここには死ぬために来たと、言っていた。
だから、もう、いつ死んでもよいと。
その力強い笑顔は、とても元気で健康そうだった。

それほどの聖地であるならと、僕も沐浴をする。
隣では、にごったガンジス川の水で歯を磨く黄色い目のおばさんが微笑みかけてくる。
その時、僕の腰に何かが当たる。
よく見ると、布でグルグル巻きになった赤ん坊の死体が流れてきていた。

翌日から1週間ほど37度の微熱が続く。
激しい下痢と血便。
日本に帰国するなり、隔離病棟に収容される。
もちろん、自宅には保健所の職員が来て、消毒が施される。
その後、10年間以上、僕の体から「硬いう○こ」が出てきたことはない。

ビジネスマンが行き交うカルカッタの雑踏。
足元に、薄汚れた、元はオレンジ色だったと思わせる袈裟を着た、ひとりの僧侶が倒れていた。
よく見ると、その僧侶はアスファルトの割れ目に頭を突っ込んでいる。
それが彼の修行なのだ、という話を、後に聞いた。

カルカッタのある喫茶店。
インドは紅茶文化の国だ。
チャイと呼ばれる甘いミルクティーが美味しい。

チャイを飲んで、帰ろうとすると、店主が、僕を呼び止める。
「洗っていけ」

へ?
なんで?

店主は、客である僕に「洗っていけ」と言う。
よく見ていると、他の客も、各自洗って帰っていく。
「俺はカーストが高い。お前らの飲んだものが洗えるか?」だそうだ。

この店はお客が自分の飲んだ器を洗うので、皆、いいかげんな洗い方。
だから、この店の器は汚いのか。
その店には、もう翌日からは、行かなかった。

インドにいると、時間の流れがゆっくりになる。
ふと気付くと1週間など、あっという間に過ぎていく。
移動せねば、と思う。

翌日の移動を決心し、駅に切符を買いに行く。
大きなターミナル駅は外国人用の窓口があるので問題はないが、小さな駅は地元の人と同じ窓口で買わねばならない。
これが、一苦労。
なので、丸1日、切符を買う日、というのを設定した。

駅に着くと人だかり。
切符売り場は、その人ごみの先の方にある。
人を掻き分け、少しずつ前に進む。

30分も経っただろうか?
ようやく人ごみの先頭にたどり着く。
そこには透明なアクリル板に20cm四方の穴が開いており、その中には、切符を売る人がいる。

その小さな穴には、常に紙幣を握り締めた浅黒い腕が何本も、差し込まれている。
意を決して、紙幣を握った手を、穴にねじ込む。

しばらくすると、中の切符売りの人と目が合う。

「どこにいく?」という目で見るので、大声で「ボンベイ!」「明日!」と叫ぶ。
数十分後、厚紙に何か印刷してあり、その上に手書きで何か数字らしきものが書いてある小さな紙片を手に、宿に帰る僕の姿があった。

翌日、移動の日。

電車は時間通りに来ないので、早めに駅に到着。
駅員に、プラットフォームNoを尋ねると、3番ホームだと言う。
列車にはヒンディー語だけで、英語表示なんてないので、列車が入るたびに、「ボンベイに行く?」と、乗客に聞く。

「No!」
この列車も違うらしい。

いい加減、発車時刻も過ぎ、疑心暗鬼になってきたので、駅員にもう一度尋ねる。
すると、プラットフォームNo1だと、言う。

まじ?
以下、同じことを何度か繰り返す。
 ********** 中略 **********
3時間後、ようやく列車に乗り込むと、指定席のはずの自分の席には、インド人が寝ている。
そして、彼をどかして、横になると、外はもう夜になっていた。

長距離列車には、もちろんトイレもついている。
しかし、汚い。

なぜなんだろう。
あと、便器まで1歩のところに、人糞が落ちている。
あと、1歩、我慢ができなかったのだろうか?
不思議である。

などなど。
いろいろあるのが、旅の楽しみ。

「トラベルの語源はトラブルだ」と誰かが言っていた。
実際の語源は知らないが、その通りだと思う。

そんな国を、なぜ、初めての海外旅行の国に選んだのか?

当時、まだインターネットも普及しておらず、情報は少なかった。

単純に
・インド人って皆、ターバンを巻いているのだろうか?
・インドの人って毎日カレーを食べているのだろうか?
・インドには、ビーフカレーは本当に食べられないのか?

それを見に行きたかった。
そして、それをしっかり見てきた。(^_^)V

当時の僕は、急にまとまった時間が取れて、旅に出ることを決めた。
そしてその3日後には、当時できたばかりで1店舗しかなかった格安チケット屋の走りでもあるHISで航空券を買っていた。

これが、考える時間が1週間あったとしたら、ビビッて他の国にしていたかもしれない。
インドに行っていなかったら、これほど旅には、はまらなかっただろう。

そして、僕の一人旅人生が始まったのだった。。。(おしまい)





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