イースター島の基本情報

GNPは一人あたり換算
データはいずれもチリ共和国のもの

国名 チリ共和国
政治 多政党による二院制共和国
人口 1317万人 (90年)
面積 75万6626平方キロメートル イースター島は180平方キロメートル(北海道利尻島と同じぐらい)
首都 サンチャゴ
通貨 チリペソ(ch$)
民族 混血が91.6% インディオ6.8%
宗教 カトリック80.7% プロテスタント6.1%
言語 スペイン語
時差 日本−h
GNP US$6190
出国税  
電気  
物価 あまりや少なかったと思う。何せ島ですから・・・。必需品はすべて空輸ですからねぇ。
宿  ホテル
   ゲストハウス 1泊30US$前後〜
 宿は混んでいる時期以外は予約の必要はありません。空港に客引きの人たちがたくさんいます。
チリ本国に行ったことがないので本国のことはわからないが、イースター島では西洋風料理のレストランが多い。
中でも伊勢海老はお勧め。こちらの物価の中ではちょっと高めだが、美味い。
伊勢海老に限らず、魚貝を使った料理はお勧めです。

酒は「ピスコ」と言う強い酒がある。民宿のオバチャンはガツンガツン飲んでいた。日本でいうと「泡盛」のようなものだろうか。
お国柄 インディオ系の混血の人が多いような気がする。が、見た目でははっきりとはわからない。
ちょっとモアイに顔が似ている人が多いような気もする。(特に耳と鼻。)

人々は皆、陽気で暖かい。道端であった子供達も皆、片手を挙げて「おらっ!」と挨拶をしてくるのが感じよい。

南米にありがちの、細かいことにはあまり気を使わないさっぱりとした国民性か。

ハンガロア村は人口も少ないので悪人は少ない。村の収入のおもなものは観光収入なので、村人はとても友好的です。
移動の足 ラパヌイ国立公園(イースター島)は絶海の孤島なので交通の足は通常、飛行機での入国となる。
(チリ本国から3800km、タヒチから4000kmも離れているので、泳いでくる人はほとんどいない。)
チリ共和国のサンチャゴからか、あるいはフランス領ポリネシアのタヒチパペーテ空港から飛行機が飛んでいる。便数は少ないので要確認のこと。(季節によっても変わるらしい。)

島内の足は値段の高い順に「レンタカー」「レンタバイク」「レンタサイクル」「レンタホース」などがある。
「レンタホース」は自分で漕がないでもよいし、しかも、燃料もいらないのでお得です。
島のあちこちにサラブレッドが放牧されているのが見られました。(イースター島は荒野が多いのでアメリカの西部劇のワンシーンのようです。)

「レンタカー」は4WDがよいかも。
幹線道路をはずれるとすぐに道が悪くなるので・・・。

イースター島のモアイ像は島の全域に点在しているので乗り物は必要です。
自転車でも十分見てまわれますけど・・・。
個人的感想 「失われた歴史」「モアイ伝説」など神秘的な印象の島。
歴史を紐解いてみると一時期、島の人口が急減し、絶滅しかかったため歴史の伝承が途絶えてしまったようです。今でも学校などでは当時の言葉で歌った歌が教えられているようですが、その歌の内容は不明です。

この島の観光資源はモアイしかありません。だから、モアイに興味のない方は訪れても退屈かもしれません。
まぁ、島ですから海に囲まれており泳ぐことはできますが、流れが強く危険です。流された場合、陸地は一番近くても3800km離れています。

唯一の村「ハンガロア村」には病院、学校、教会、ホテルや民宿、スーパーマルシェなどが揃っています。
村のすぐ南には空港もあります。

ハンガロア村にはお土産品などを売る市もたち、時期によっては観光客でにぎわっているそうです。私が訪れたのは雨季だったため、観光客もまばらでした。雨季は寒いので上着が必要です。(←特にパペーテから行く方は注意!)

ところでモアイ像って、建設当時はつぶらな瞳をしていたって、ご存知でしょうか?
どんぐり眼のモアイ像はなんとなく愛らしいものです。

私はモアイ関係の品々を収集しているのですが、イースター島では結構いろいろ売られています。
「キーホルダー」「木彫りのモアイ」「石を彫ったモアイ」、「ステッカー」や「Tシャツ」、「タオル」などなど。モアイのかけら。
「木彫りのロンゴロンゴ」という、文字盤のレプリカなどもあります。

日本で収集したモアイグッズとしては熱帯魚用のオブジェなどは有名ですね。その他、ジッポライターぶるぶる震えるおもちゃ灰皿マグカップシャープペンと鉛筆焼酎アロマキャンドル立て箸置きなどを集めました。他にも売っているものを知っている方は教えてくださーい。

日本にあるモアイ像についてはこちらをどうぞ。

昔の話ですが、第2次世界大戦の前、「イースター島を買わないか?」とチリ政府から日本政府に打診があったそうです。しかし、この南太平洋の飛び地を日本領土にすることによってアメリカを刺激することを恐れた日本政府は購入を断念したそうです。
もし、この話が実現していたら、羽田から国内線でイースター島まで行けたかも知れませんね。
もっとも、その後の第2次世界大戦に敗戦後、どこかの国に取り上げられていたでしょうが・・・。

 

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